八葉山天台寺
 神亀5年開基 大同2年(807)坂上田村麻呂が堂宇を改修  慈覚大師薬師如来を安置したと伝える➡ 
二戸市には13を越す追分道標があるという 
左端上 左 白とり 右もりおか
左端下 左 一戸道 右浄法寺
左中 
左 三戸道 右 八戸道 

 近くに金田一小学校がある 国語学者で有名な金田一京助氏は盛岡市出身だが非常に珍しい名前なので祖先をたどれば二戸出身かも知れない

末の松山 其の6


 明暦年間には南部重直も堂宇を増築した  最盛期には境内に5坊 寺領30石を有するこの地方一帯の仏教文化の中心地となる 藤原期平安中期の作と伝える正観音立像・十一面観音立像は国指定重要文化財である 陸奥古代最古のこの寺に昭和62年から瀬戸内寂聴が住職を務めていた事で有名(説明板)  本堂も国指定重要文化財 二戸郡浄法寺町
  四戸城(金田一城) 二戸市金田一字舘   半分は畑で原型はとどめずべこ石と呼ばれる大きな石の脇に四戸城の標柱がある 九戸氏とは姻戚関係にある 城時期その主体は不明 城主は鎌倉初期陸奥国糠部郡の地頭職として下向した南部光行の四男宗朝を祖とする四戸氏と伝える 二戸市にあって九戸城・四戸城とややこしい 今行政上は一戸から九戸までのうち四戸だけは存在しないが城址や城主名でその名残を留めている