相馬大作神社
  呑香神社境内
呑香神社境内 九戸政実・相馬大作・田中館愛橘は二戸が生んだ三大英傑でしょう

下左右 九戸政実神社  呑香神社境内  家臣婦女子の安全と交換に自ら投降した政実だが宮城県の栗原町で斬首された 三の迫にある政実神社を分霊して九戸城二の丸口に建立されたが老朽化の為呑香稲荷神社境内に移築された
  末の松山 其の5 

国指定史跡 難攻不落の九戸城   西側は馬淵川 北側は白鳥川 東の猫淵川の三方に囲まれ急峻な岸壁に守られた天然の要害の城であった事がわかる 東京ドームの10倍の面積と九戸氏時代の九戸城から落城後は南部氏が福岡城と改めた国指定史跡である 左 馬渕川の断崖・左上白鳥川の絶壁で赤い橋を渡り岩の中に糠部郡33番札所の28番札所の岩屋観音堂がある事でもその急峻な城壁の高さが知れます 二戸市にあっても九戸城 一戸町は二戸郡にあり五戸町は三戸郡でややこしい
 末の松山浪打峠三十丁 二戸市内にある道標
 平将直演武場跡の碑

前Pの相馬大作の胸像の脇にある