
頂上にある大籠殉教記念クルス館
一関市藤沢町大籠
309の階段を上るとあります
下 クルス館内のキリスト
旧東磐井郡藤沢町には大籠隠れキリシタン史跡がある クリスチャン作家の遠藤周作氏は碑の中で『私は夕暮れ近く大籠の街道を歩いたのだが点々と残る首塚や処刑場跡に寒気さえ覚えたのだった 九州の切支丹遺跡を尋ねてもこんな陰惨な感じを与える場所は無かった➡ |
クルス館に登る309の階段
300余名が弾圧処刑された隠れキリシタンの里 九州島原程の知名度はないが東北における最大の隠れキリシタンの里である
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左クルス館に登るための309の階段
この数字は大籠殉教者の人数を表していて中々意味深なのです 又登る苦労がキリストが磔になったゴルゴダの丘への十字架の道行の労苦を味わってもらう意味もあるのです 運動不足の我々にはこれが中々大変で休み休み登のだが勿論キリストの迫害に比べれば太腿の筋肉痛ぐらいな無きに等しいいのです 途中疲れを癒し一休みするために14のエピソードが彫れている碑がある 例えば2番目は「イエズス 死の宣告をお受けになる」 3番目に『十字架を背負わされる』 4番目に『キリスト初めて倒れられる』 6番目は『ヴェロニカイエズスのお顔を拭く』 9番目は『イエズス3たび倒れられる』 11番に『キリスト衣服をはがされる』 12番目「十字架に釘づけされる」 13番目は『キリスト十字架上で息絶える』 15番目はキリスト墓に葬られる』等生々しいのです それにしてもこの石段一関市内にある延喜式内社配志和神社の参道の階段と似てますね これは偶然でしょう
磐井の里 其の7
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①のプロローグには 聖書の「パンと魚」の(奇跡)が彫られている キリストが5000人の集まった人々に5つのパンと2匹の魚から全員にパンと魚を与えた上食事後もパンが籠に12個分も残っていたと言うエピソードによるのだが勿論これは「人はパンのみによって生きるのではない 神の口からである言葉によって生きるのである」と云う教訓だが現代の皮肉屋は「パンのみで生きるのではない 健康の為一日30品目を食べなさい」とユーモアたっぷりだ ギリシャ文字ΙΧΘΥΣはイクソスと読み魚を意味し イエス・キリスト・神の・子・救い主の頭文字を取ったものでクリスチャンを象徴するモチーフ |

元和6年(1620)仙台藩による弾圧からフランシスコ・バアヤス神父(日本名孫右衛門)の教えにより掘られた洞窟で中に祭壇がある 寛永16年(1639)神父が処刑されてからは空き洞窟となり昭和48年8月に350年ぶりに発見された貴重な隠れキリシタン弾圧遺下 後藤寿庵の墓 彼の本名は岩淵又五郎とごっついのですが九州五島列島で洗礼を受けて礼名洗者聖ヨハネ(ジョアン)を名乗るが次第に宗教弾圧が厳しくなる中で当初理解者であった伊達政宗により後藤寿庵となのらせた 詳細は水沢項目でのべるとして彼の墓が隣町宮城県登米郡東和町米川にありました 元和9年の切支丹弾圧から350年間消息不明であった寿庵の墓が無名の小さな自然石で発見されたのです |
➡ ここは文字通り東北切支丹の最後の聖地であろうと思った』と彫られている
クルス館内のキリスト像
岩手県出身彫刻家舟越保武の作品3体がある |
延喜式内社配志和神社参道階段 |
右 上野処刑場跡 県道155号藤沢大籠線沿い 此の外に祭畑刑場・首実検石・上袖首塚トキゾー沢刑場跡・保登子首塚・➡ |
➡大柄沢隠れ洞窟等生々しい遺跡があるこの日は絶好の五月晴れで暗さは微塵も感じられなかった ここは通称オシャナギ様と称すろ所で信徒の処刑場であり殉教の地で寛永17年宗徒97名が所成敗となった 此処には八基の地蔵尊が立っている 信徒処刑後より夜な夜な男女の泣き叫ぶ声がして鬼気迫るものがあったというしかもいずれの刑場でも処刑された遺体の処理は厳禁で凡そ60年後になって初めて許され元禄時16年に集の供養碑が建てられたと言う |

この碑の右側に他の墓石と共に並んでいる 昭和29年建立 |