延喜式内社配志和神社 一関市
 
左端上 延喜式内社配志和神社 
創建は凡そ1900年前の景行天皇40年(110年)日本武命東征の折戦勝祈願した所で社を火石輪(ほいしわ)と称したのでその名がる 樹齢1000年の夫婦杉や藤原小黒麻呂 坂上田村麻呂 源義家 小野春風 等の錚々たる歴史的人物の尊宗を受けている由緒ある神社 852年従5位下を授けられた
  その拝殿前に芭蕉の句がある
梅が香に のっと日の出る 山路かな 
があるがここで詠んだものではない

2句とも梅を詠んだ句であるが実はここは大宰府に左遷された梅で名高い菅原道真の子敦茂(菅秀才)が母と共に磐井の地に流されていたのです 彼は父が丹精込めて育てていた蘭麝梅の実を植えたところ当山一帯に咲き乱れ高貴な香を放ったので此の辺りの丘陵を蘭梅山(151m)呼ばれる様になったと云う 芭蕉がここに立ち寄った記録はない
 左下 長い石段の森林浴が素晴らしい
     

大平観音山頂
にある式内社舞草神社 一関市
大同年間(806〜810年)田村麻呂の勧進と伝える 852年に従5位下が授けられた 舞草鍛治の名工三条小鍛治宗近がここ祈願して 源氏の宝刀を作る事が出来たというので刀工に尊宗された 然し今ここに参拝する人は稀な様で途中参道は細く砂利が雨に流され車で行くのも危険である 愛鳥の森に指定され市民の森となっている配志和神社とは対照的であるのは残念だ   

磐井の里 其の5
配志和神社社務所前二段式庭園前にある芭蕉の句 此の梅に 牛も初音と なきつべし   日本刀源流之一ツ鎌倉鍛治の始祖舞草古鍛治発祥之地の碑  舞草神社境内     蘭梅山(151m)配志和神社 観音山(325m)舞草(まくさ・もうくさ)神社  共に磐井郡二座延喜式神名帳にある由緒ある神社である
日本刀発祥の地
近年日本刀発祥の地として注目されているのが一ノ関刀剣と刀工なのです 舞草はその奥州鍛治のルーツの地で舞草鍛治と言われる鍛治集団が存在したと言う
 舞草刀はそれまで古来の直刀から実践型の反りのある当時としてはハイテク刀だったのである 刀工として宝寿 安房 雄安 世安 光長 森房 行重 行安等の名が今も残されている 神社に来る途中に鍛治の居住地の伝古屋敷跡 鉄を採取した鉱山跡 鍛治遺跡の標柱があるが夏草が生い茂り定かでない ここは頼義・義家父子前9年役の折、都より鍛治を呼び刀をつくらせその子孫が当地に定住し舞草鍛治となったという 今美術工芸としての日本刀の美のルーツがここ磐井の里一ノ関とは目から鱗でる