「芭蕉の辻」 一ノ関駅前の旧デパートの脇
仙台市内にある芭蕉の辻が有名だがそれは松尾芭蕉とは無関係の辻 こちらは芭蕉最北の宿泊地を記念している本物の芭蕉を意識したもの
下 老舗世嬉の一酒造
磐井橋のたもと二夜庵の隣に登録有形文化財酒の民族文化博物館がある 豪商「熊文」跡にある老舗世嬉の一酒造の運営による石造りのレストランがいい雰囲気を醸し出している 画像は島崎藤村の碑で文学館がある 彼は佐藤愛子との愛に苦悩し北村透谷の紹介で「熊文」で家庭教師をして過ごしていた 愛子が一ノ関に少女期住んでいたとは知らず偶然に である➡右最下段 |

かっぱ崖 碑の後ろが崖になっているからかっぱ崖の碑 芭蕉が弟子の曾良を伴い奥の細道行脚の旅で一関を訊ねたのは元禄2年(1689)5月12日の雨の夕暮れだった 翌13日には平泉を訪ね高館・衣川・中尊寺等を巡り一関に戻る ここで二泊したのが現金森家でそのため金森家を二夜庵と呼ばれる様になったのです 今も其の末裔の方が住んでおられる様で表札にも金森と掲げられています 二夜庵のすぐ近くに磐井川があり磐井大橋を渡り直ぐ右に折れて平泉に向うのだが上の芭蕉紀行の道の標識ですしかしそれにしても宮城県登米(戸今)から一日で歩き通 一泊して翌日は早朝平泉まで歩いて遺跡巡りをして戻り➡ |
奥の細道曽良旅日記抄の碑 曽良旅日記には『12日 曇。 戸今(登米)を立。 三リ、上沼新田町(雨振出ル) 三リ 安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル 馬ニ乗 加沢一リ、一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也 宿ス
13日天気明 巳のノヨリ平泉へ趣 一リ山ノ目 高館 衣川 中尊寺 光堂 秀平やしき等ウィ見ル 申ノ上剋帰ル 主水風呂敷ヲシテ待 宿ス 14日天気吉 一ノ関立』 とあり 豪雨の中二人は左下のかっぱ崖の道を通り一ノ関に入ったのである |
左下 芭蕉二夜庵の碑
県道19号(気仙沼街道)が磐井川に架かるのが磐井橋である そのたもと芭蕉が5月12・13日と二宿した所である 土砂降りの12日とは打って変わり13日は快晴で午前10時ごろ平泉に立ったようだ 凡そ8キロほどある 平泉から宿に戻った芭蕉は直ぐに御風呂に入ったようだ 「主、水風呂敷ヲシテ待、宿ス」とある 内風呂があると言うことは安木賃ではなくある程度の宿か屋敷(現金森家)だろうと思われる 然し十時ごろ出発し往復16kmを歩き平泉を徘徊しまくって戻り翌日はもう栗原郡岩出山町にいる健脚振りは現代人にはにわかには信じがたい ここが芭蕉奥州路最北の宿なのです |
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