愛宕山から望む渋民村 彼は「石をもて 追われる如く ふるさとを いでし悲しみ 消える事なし」と被害妄想的な歌を詠んでる ロマンチストの彼からみると村そのものは余りに低俗で然も精神の向上を拒み無変化への安住に堕していると写ったのだろう 『彼らには無事と言う他に不幸が無い かくて美しい心は腐れる 美風は荒らされる 遂に故郷は滅びる』と日記に書いている  下左 新しき 明日の来るを 信ずといふ  自分の言葉に 嘘はなけれど  愛宕山  下右 今日もまた 胸に痛みあり 死ぬならば 故郷に行て 死なむと思ふ 常光寺駐車場
 
妻子がありながら、僅か27年の生涯の中で、然も転々と滞在日数の短い放浪の各地でも多くの女性に秋波を送り続けた啄木 文学者・芸術家・文筆業者等に多く見られる作品を創造するに必要な心躍る情熱こそ原点だったのかも知れない その多くの女性たちへのモチベーションのおかげで今日の人々にも感動を与え、時代に耐えうる作品を残し得たのでしょう。
左 柔かい耳朶の小奴
 
釧路市教育委員会 生涯学習部生涯学習課
小奴と いひし女の やわらかき 
     耳朶なども 忘れがたかり

次々と作品が湧き出る感情高ぶる女性への歌も
かの時に 云ひそびれたる 大切の 
     言葉は今も 胸にのこれど

寄り添いて 深夜の雪の 中に立つ 
    女の右手の あたたかさかな

又看護婦梅川操には『喰ひつきたく程可愛く思われる』と書いて
 一輪の 赤き薔薇の 花を見て 
  火の息すなる 唇をこそ思へ 
 
然し小奴は啄木一途だったようだ
六十路過ぎ 十九の春を しみじみと
      君が歌集に 残る思いで
ながらへて 亡き啄木を 語るとき
     我の若さも 共になつかし
小奴は東京都南多摩郡の老人ホームに入り昭和40年老衰で亡くなったという
現渋民小学校正面 
石川啄木自筆の一書
東海の 小島の磯の 白砂に 
われ泣きぬれて 
蟹とたはむる
 啄木記念館
 
砂山の 砂に腹這ひ 初恋の 
いたみを遠く おもひ出づる日
 
 一握の砂

ふるさとの 山に向ひて 
云う事なし 故郷の山は 
ありがたきかな

岩出の里 其の9
 


 
 小奴が母と営業していた元旅館近江屋跡に立つ小奴の碑(元朝日生命釧路南営業所)
釧路市・朝日生命釧路支社提供