岩手の起源三ツ石神社の巨石 日本の道100選に選ばれている北山通りにある東顕寺の北隣にあり 岩手文化の起源みたいな石である 面の写真は二つにしか見えないが裏から見るとはっきり三ツ石がわかる 昔この辺りに羅切と言う鬼が居て住民や旅人を困らせた そこで三ツ石の神に鬼を捕まえてもらいこの三ツ石に縛り付けた そして今後悪さをせぬ約束にこの岩に手形を押させて逃がした この岩に押した手形がが岩手の起源である そして二度と現れぬことを誓ったので不来方と言う地名になった これを祝って村人が踊り明かしたのが盛岡の夏祭りさんさ踊りの由来と言う   
国重要文化財 上の橋(左)・下ノ橋の擬宝珠(右)  
中津川に架かるこの二つの橋は慶長14年第27代藩主南部利直が賀茂川に似せて京都所司代の許可を得て盛岡城築城の際架けたもの 擬宝珠は慶長14年の物が8個・16年の物が10個ある  国重要美術品上の橋の擬宝珠18個 延元元年(1336)京都加茂川に後村上天皇の恩賞によって使用を赦された擬宝珠に因む

瑞鳩峰山報恩寺にある五百羅漢堂
盛岡市内報恩寺にある二体の珍しい異人の羅漢像はジンギスカン(右)とマルコポーロ(左)の羅漢像でがあるので有名 ここの羅漢堂内は見事な羅漢像が四方の壁総てにあり恐らく数千体はあるのでは?と思われる華厳堂(お釈迦様の悟りの世界)を形成していて日本一の羅漢堂といわれている

   岩出の里 其の7
    
  昔懐かしい望楼のある紺屋町番屋


国重文盛岡啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)


国重文岩手銀行中の橋支店(旧盛岡銀行本店)
  国重要文化財盛岡高等農林学校本館(現岩手大学) 宮澤 賢治が学んだこの地は何と堀合節子の生家があった所で井戸も復元されている 節子は明治38年に啄木と結婚して石川節子となるのです 明治40年には函館青柳町に新居をもったが啄木没後の翌年大正2年27歳の若さで亡くなり函館立待崎に眠っている 啄木も27歳だったから不思議な縁でしょうか   啄木・節子の新婚時代の家 盛岡市中央3丁目17
友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ 花を買ひきて妻としたしむ
光淡く こほろぎ啼し 夕より 秋の入り来と この胸抱きぬ