陣ヶ岡歴史公園史武将略縁記 紫波町陣が岡
日本武尊・安倍比羅夫・道嶋宿禰島足・坂上田村磨・安倍頼時・源頼義・義家・藤原秀衡・源頼朝・斯波家氏・斯波家氏・斯波家長・南部信直・蒲生氏郷等歴史上の錚々たる武将がここ陣ヶ岡を指令基地とし陣営を置き征夷・征東の名の下に陸奥を席巻していったのだ 歴史好きの方には垂涎の史蹟でしょう
陣が岡は北上川右岸の独立した20mほどの標高で南北に長いなだらかな丘陵である |

柴波町指定史跡陣が岡歴史公園
陣ヶ岡営跡の陣ヶ岡歴史公園には左に記載された武将の面々がここに陣を張ったところとされている所である |
日の輪形 月の輪形
前9年の役で源頼義・義家親子が厨川柵の安倍貞任を討つためここに3.2万の兵(全兵力は27万)で宿営した その時月明かりに照らされて堤に源氏の日・月の旗が映り金色に輝いたのを見て軍の士気が鼓舞された 頼義は『吉兆なり』と喜び戦勝の礼として日形・月形の像を堤に造った 後に藤原秀衡がこれを知り月・日の像を修造した その形が今もかすかに残っている
岩出の里 其の5

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安倍貞任・藤原泰衡首晒しの跡
と云うのです 源頼朝は首洗い井戸で洗われた泰衡の首は八寸釘で晒し首されたのです それは源頼義が前9年の役で安倍貞任の晒し首の洗礼にならったものでさる その首を平泉の心蓮法師が懇願してもらいうけ中尊寺で供養したものが今も金色堂にミイラとしてある 秋田贄柵まで逃亡した主君泰衡の首を討ちとり頼朝に差し出した家臣河田次郎を不忠の臣としてここでその首を刎ねた地でもある |