陣ケ岡全景 紫波町  廻りは一面の平坦な田園地帯 この緩やかな岡は征夷・征東の名の下に錚々たる歴史的英雄が陣を張った有名な岡である この長閑な田園風景とは裏腹な凄い歴史が凝縮された岡なのです こう云う所で古代英雄達と陸奥を同席できるのは感激です   王子の森古墳  景行天皇の皇子である日本武尊東征の折ここ陣ケ岡に宿営中妃が王子を出産された 然し三日目に亡くなってしまったのでここに奉葬されたと云うのです 蜂神社は歴代の支配者に崇敬され藤原秀衡は神田十町歩を寄進されたと言う 王子の森古墳の言われもここ陣ケ岡である
日本武尊の王子古墳と言うが・・・日本武尊はこの奥地までは侵攻はしてないのでご愛敬でしょう

紫波町文化財藤原秀衡築造修復の月の輪・日の輪形

坂上田村麻呂 蝦夷征討宿営跡 
    陣ヶ岡歴史公園史武将略縁記  紫波町陣が岡
日本武尊・安倍比羅夫・道嶋宿禰島足・坂上田村磨・安倍頼時・源頼義・義家・藤原秀衡・源頼朝・斯波家氏・斯波家氏・斯波家長・南部信直・蒲生氏郷
等歴史上の錚々たる武将がここ陣ヶ岡を指令基地とし陣営を置き征夷・征東の名の下に陸奥を席巻していったのだ 歴史好きの方には垂涎の史蹟でしょう

陣が岡は北上川右岸の独立した20mほどの標高で南北に長いなだらかな丘陵である

柴波町指定史跡陣が岡歴史公園
陣ヶ岡営跡の陣ヶ岡歴史公園には左に記載された武将の面々がここに陣を張ったところとされている所である
日の輪形 月の輪形
前9年の役で源頼義・義家親子が厨川柵の安倍貞任を討つためここに3.2万の兵(全兵力は27万)で宿営した その時月明かりに照らされて堤に源氏の日・月の旗が映り金色に輝いたのを見て軍の士気が鼓舞された 頼義は『吉兆なり』と喜び戦勝の礼として日形・月形の像を堤に造った 後に藤原秀衡がこれを知り月・日の像を修造した その形が今もかすかに残っている                      
  岩出の里 其の5 


安倍貞任・藤原泰衡首晒しの跡
と云うのです 源頼朝は首洗い井戸で洗われた泰衡の首は八寸釘で晒し首されたのです それは源頼義が前9年の役で安倍貞任の晒し首の洗礼にならったものでさる その首を平泉の心蓮法師が懇願してもらいうけ中尊寺で供養したものが今も金色堂にミイラとしてある
  秋田贄柵まで逃亡した主君泰衡の首を討ちとり頼朝に差し出した家臣河田次郎を不忠の臣としてここでその首を刎ねた地でもある