右 日本武尊像(神社前)  爰仰筑波山(ここより筑波山を仰ぐ)と彫られてる 景行天皇の御代日本武尊は東征の折り当山に登拝して後日山梨甲府市酒折の宮でその感慨を同伴の古老に述べている 其の後そのやり取りは連歌の始まりとされている 右端上下 筑波神社拝殿の後ろの万葉の小道・万葉公園には7つの万葉歌碑がある
上 藤田小四郎像 筑波神社門前
幕末水戸藩士 水戸天狗党の首領
 
上左中 万葉歌碑3首 筑波神社下
 右端 
万葉集巻20-4371 古部広方
 橘の 下吹く風の 香ぐはしき
    筑波の山を 恋ひずあらめかも

 中央 万葉集巻3-382 丹比真人国人
 鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば 益して恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る

 左端  万葉集巻3-383 丹比真人国人
 筑波嶺を 外のみ見つつ ありかねて
      雪消の道を なづみ来るかも
上 筑波神社拝殿 御神体は筑波山そのものである 3000年の歴史を有するという 境内は筑波山中腹から山頂までの370haに及ぶ
 楠木正勝の墓(拝殿脇) この石塔六角石造宝憧は南朝の忠臣楠木正勝の墓と伝える 正勝は楠木正成の孫虚無僧の祖と云われてる 但し奈良県十津川村他多数あり不明な点が多い
 筑波嶺 V