一言神社
将門によって守護神とされた白髪の老翁を祀る 水の出た所が石井之井戸と伝える 
一言神社碑記
伝云 當社ハ承平五年(935)九月十五日
石井郷ニ祀ル古来一言大明神ト称シ明治維新ノ際一言神社ト改ム 同五年村社ニ列シ社地壱反貮?歩餘ヲ存シ其他ヲ宮ニ?ム 爾後維持甚窮ス?金シテ山林壱反六?歩及金五百円 餘ヲ寄附シ本財産ト為ス 茲ニ 其梗概ヲ勒シ不朽ニ伝ウト云爾
石井の井戸跡
将門が居舘築造の地を探して島広野を駆け巡るうちに咽喉の渇きに困り果ててると『水』と大声で一言聞こえて一人の老翁が立っていた すると傍らの大石を差し上げて力一杯台地に打ち込むと水がこんこんと湧き出したという 近くにあるその老翁祀る一言神社と併せこの石井の井戸岩井戸の宮として永く住民に尊ばれたという
  富士見の馬場 将門が馬の調教や軍事訓練をしたり軍馬や傳馬の市を開いたところと云われる 将門記には百騎の騎馬隊を組織して合戦で効果的に指揮しているとある 今に残る相馬野馬追の原型でしょう
右 平将門公騎馬像(坂東市総合文化ホール)狩衣姿で黒鹿毛の馬にのっている  
右 将門山古墳 
天慶3年戦死した将門公の首は京都に送られさらしものとされ後に武蔵国柴崎村(東京都千代田区)送られた 胴体は坂東市の延命院の一隅に埋められ古墳は将門山と呼ばれるようになった 此の地は相馬御厨の神領なので暴かれることなく今に及んでいる

右端上下 将門胴塚
カヤの大木の胴塚の中央の碑には神田山一名将門山(上)とある 下の庚申塔(正徳2年壬辰天十月吉日とある)の前の御位牌には相馬小次郎将門と記入されている 又この隣には東京首塚保存会から寄贈された大きな南無阿弥陀佛の碑がある

  右 将門文学碑 捕縛した敵将平貞盛の妻を前にして下記の歌添えた
 よそにても 風の便りに 吾ぞ問ふ 枝離れたる 花の宿りを
すると貞盛の妻は下の歌を返したという
 
よそにても 花のにほいの 散りくれば 我が身侘しと 思ほえるかな
ネットによれば将門は見事振られたとあるが解釈は色々あるようだ
         阿自久痲山 Y