
束稲山 其の2  |
上 芭蕉の句碑
義経堂の向いにある 歌碑の上段に夏草や 兵どもの 夢の跡 とあり下段には『三代の栄華一睡の中にして大門の跡は一里こなたに有り 秀衡が跡は田野成りて金鶏山のみ形をなす 先ず高舘にのぼれば北上川南部より流るる大河也 衣河は和泉が城を巡り手高舘の下で大河に落ち入る 泰衡等が旧跡は衣が関を隔てて南部口をさし堅め夷をふせぐとみえたり さても義臣すぐってこの城にこもり功名一時の叢となる 国破れて山河あり 城春にして草青みたり と笠打ち敷きて時のうつるまで泪を落とし侍りぬ』と奥の細道の一節が彫られている ここからの眺めは彼の文章そのままである
右 往古両軍戦死者供養之塔
高舘の義経堂に登る途中に義経軍と泰衡軍両軍の戦死者を弔う碑がある 匿ってる義経を出せと言う老獪な頼朝に対して泰衡は義経はいないなどと目に見えた嘘など言わず絶対に渡さない と強く突っぱねれば頼朝は攻撃を躊躇したかも知れない 頼朝は弱腰の泰衡を見抜いていたのだ |
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山口 青邨の句碑 関山月見坂
人も旅人 われも旅人 春惜しむ
彼は盛岡一高から東京帝大工学部卒の工学博士だが東大俳句会を創る 土のかおりの句が多いと云う
百姓の 昼寝団扇や 草の上 |
上 月見坂の碑 関山入り口にある
関山中尊寺への上り口
往時はこれが奥大道であったともいわれている |