小繋の一里塚 盛岡から12番目の一里塚
よの坂を下り分かりづらいが白樺の木のこんもりした所一里塚です そしてその左側の細長い草むらの道と思しきところが旧奥州街道なのですが今は廃道となり草茫々である 岩手県県指定史跡としては何とも寒々しい
右 小繋番所跡 小繋は奥州街道と御山(天台寺)へ向かう巡検道の分岐点に位置していた交通の要所で盛岡以北では最初の番所 右下 明治天皇御叡覧の地 小繋 明治天皇が御昼食をとられた所 |
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国指定史跡 川底一里塚 山中にあっても川底ですが盛岡から13番目の一里塚です 直径10.0m 高さ3.2m程の一里塚 下左 縄文中期の国指定史跡 御所野遺蹟 65000平方mに600もの竪穴住居跡と日本初の土屋根住居が発見された 今津軽海峡挟んだ北海道・青森・岩手の縄文文化圏遺蹟を世界遺産として登録を目指している 下右 国特別天然記念物巨大な珪化木 姉帯・小鳥谷・根反一帯は珪化木地帯である 馬淵川と平糖川との合流地点から馬淵川上流5km、平糖川上流3km、根反川上流5.5kmの範囲の河床や、→ |
中山峠
其の4


→川岸に広く露出する珪化木で第三紀四ツ役層の砂質凝灰岩中に埋没しているものであるという殊に根反の珪化木は1500〜2500万年前の火山灰に埋まり化石化したもので直径2m・高さ4・6mの日本一の直立したメタセコイアスギで国の特別天然記念物に指定されている(説明板) 早い話が石炭になり損ねたメタセコイアと云う事です |