北上川に架かる明治橋 
藩政時代はこの辺りが新山河岸と呼ばれた所である この辺りで雫石川・中津川・梁川が合流して大河の様相を呈し橋架けが困難であった 奥州街道筋にあり北上川本流に小舟を20艘程を鉄鎖で繋ぎその上に厚い板をしいて人馬の往来を許し盛岡城下に入ったのです 明治7年に木造橋が造られるまで舟橋が利用されたと云う 舟橋


 明治橋の碑 明治6年造

木津屋池野藤兵衛事務所兼居宅 
新山河岸の木津屋の初代は国書改ざんの罪で盛岡に流罪となた対馬潘外交僧規伯玄方を慕って山城国木津村から移住し寛永15年(1638)の創業から370年以上にわたる現役の老舗である 建物の棟札には天保5年(1835)とある建築物である 入念な防火は商家の特徴だが木津屋も万一の火災に備え家屋一棟分の資材を今も備蓄していると云う   
 土蔵御倉 
明治橋の傍にある旧藩時代の俤を伝える数少ない江戸時代の土蔵御蔵 ここは盛岡城の入り口に当たり往時は御番所・船宿等が建ち並び北上舟運の要衝として栄えた地である
 ここが石巻への舟運の起点新山河岸跡である
 岩出の淵 其の5





左 盛岡城警備惣門遺跡の碑 
木津屋の向かいにあるが城下の南の玄関口で穀丁惣門があった地である