羽越国境線
古代杜鼠ヶ関の10mの地にある まさにここが出羽国と越国の国境なのです

右上下 源義経上陸の地碑
昭和40年NHK大河ドラマ源義経の原作者村上元三揮毫による  当初村上氏は上陸に確信が持てないと云う事で右 源義経上陸の地を弁天島に揮毫したが20年後になって先生の方から上陸した事に間違いないと確信したので右下 源義経ゆかりの浜の碑を揮毫したと云う
 
酒田の余波(なごり)日を重ねて北陸道の雲に望む。遥々のおもひ胸をいたましめて加賀の府まで百卅里と聞く。鼠の関をこゆれば越後の地に歩行を改めて越中の一ぶりの関にいたる』と奥の細道の一説が彫られてる  鼠ヶ関芭蕉公園

芭蕉宿泊の家
左上 芭蕉と曾良は元禄2年旧暦6月26日に酒田・大山を経て景勝の地の海岸線を眺めながら温海についた そのときの宿泊地が上の現鈴木美津子氏宅でありその祖が鈴木惣右衛門である 美濃の上人宮部弥三郎氏紹介による 










左下 ここは国道7号線脇にある 義経一行が三瀬からここ由良坂に辿り着き休息し立ていた時弁慶がなぎなたの石突で地面を突くとそこから滾々と清水が湧き出し主従の喉を潤したと云う 寄れなかったが義経伝説は三瀬にもあり大日堂には義経・弁慶の笈と弁慶の薙刀が残ってるという 

国道7号線由良峠付近にある

山形県県天然記念物 鼠ヶ関にある地を這う念珠の松 
全長20m 幹周り1.2m 地を這う部分7m そこから斜上して支柱で支えられる一直線の黒松である 樹齢400年中々見応えがあります
 約400年前元村上や旅館佐藤茂右ヱ門氏が盆栽の松を地植えしこれを代々手入れして作り上げた黒松です 戦前は村上やの臥龍の松とも呼ばれ停車した鼠ヶ関駅からもその美しい姿が見えたという
       鼠ヶ関 其の2
      

あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み 鶴岡市渥美雨池
この句はここで詠んだものではなく酒田の宿泊地の伊東不玉宅でのものである 山形最南端の温海から最北の吹浦まで景勝の海岸線が続くのです 尚万葉集14 3479に
赤見山 草根刈除け 逢はすがへ あらそふ妹し あやに愛しも とあるがここのあつみ山の事か とあるが定かではない 栃木県とも群馬県ともあり未詳である 

古蹟弁慶清水の祉