国重文輪王寺黒門 皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門江戸時代初め家康公を日光に祀った時天海僧正が創建した後に御水尾天皇の皇子守澄法親王宮が入山の後本坊の表御門となる 明治4年本坊焼失時も唯一焼け残った建物
 左下左 手前石鳥居元和元年1628筑前藩主黒田長政奉納したもの 高さ9m 柱の直径12mの明神つくりで石造りとしては日本一である 五重塔は慶安3年1650若狭国小浜藩主酒井忠勝が寄進したもので高さ35mある 共に国重文 左下右 陽明門には誰もが必ず登る東照宮入口の石鳥居と門 その石段の下にスカイツリー標高634mの看板が立っていた 同じ標高にあるだけで無縁の代物だが共通なのは五重塔にある耐震構造の芯柱の活用でしょう
右下右 2代将軍秀忠の娘で後水尾天皇の中宮である東福門院が寄贈した一本灯篭で唯一の女性奉納者 他に有名無名の大名奉納の灯篭は数多い 灯篭のみの奉納者を調べて歩くのも面白そうだ
右下左
 東照宮で最も有名な南蛮鉄灯篭伊達正宗がポルトガルからわざわざ鉄を輸入して伊達藩3年分の予算で鋳造し奉納したもの いかにも伊達男正宗らしい

  国重文相輪塔
 慈眼大師(天海僧正)が家光公の発願により比叡山の宝塔に似せて青銅でこしらえた高さ15mの供養塔で中には千部の経典を収蔵し天下泰平国家安穏を祈願した(輪王寺の後ろ)
 二荒の山
  其の[