御所の浦 ここ湊の地区「牡鹿湊の津」と呼ばれていて早くから開けていた所である 旧北上川を挟み向いの小山が有名な日和山で石巻の中心市街地になる 手前が湊町・大門町・吉野町・御所入り等の由緒ある地名がある 後醍醐天皇の第三皇子護良親王が密かに鎌倉から逃れ上陸・隠れ住んだ地と言う伝説に因む 太平記には 淵辺義博により殺害されたと記されているから伝説の域は出ない 東北は畠山親房等の南朝方の支持武将が多く宮城県多賀城・福島県霊山・宇津峰等に親房・顕家等が拠点を置き青森県浪岡城の北畠氏も顕家の後裔とされている 其れ故でしょう 滅びの美学の判官びいきは日本人特有でしょうから  湊の地区 牧山の麓にある湊の日輪山多福院 1570年創建は元月光山日輪寺の跡に元亀元年湊の地頭笹町氏が堂宇を復興し曹洞宗開祖道元14世の法孫存茂和尚が開山した 古くから中世の板碑群が有名で大は3,5mから小は50cmまで88基もある(説明板) 多福院にある吉野先帝碑の覆堂 後醍醐天皇崩御を悼み菩提を弔う為に建立(1339年) 後醍醐天皇菩提碑で天皇の供養碑としては日本で唯一つとの事 碑には
奉為 後醍醐天皇菩提碑是也 延元二二乙卯霜月二十四日敬白

とある 吉田松陰東北遊記には 湊有 八皇子護良親王 為先帝建碑
と記載されている
 
石柱には旧町名御所浦とある
 吉野先帝御菩提碑参道  
境内には1275年から1492年まで220年わたり建立された板碑が88基もあり石巻市有形文化財第一号に指定されたが中でも後醍醐天皇崩御の報に接して其の菩提を弔うために建立されたのが吉野先帝御菩提碑という
 然し河東碧梧桐は信じがたい説である と一蹴している
 







尾駮の牧 
 其の5