卯の花清水碑
卯の花清水の由来は曾良の句の卯の花の白さと白髪頭の老忠臣兼房をかけたものだ 文治5年(1189)衣川の戦いの奮戦は弁慶の立ち往生ばかりが有名だが4月29日主君義経自害の後に彼は腹を十文字に割き5臓6府つかみ出し主君の御首を自らの腹に押し隠し己の衣で巻いて息絶えたという壮烈な戦死の伝説の持ち主なのだ 曾良は忠臣兼房に大いなる同情を抱いたに違いない
 
国指定史跡柳の御所跡 当史跡は初代清衡・2代目基衡の居館跡又は平泉館と言われてきたが発掘が進むにつれてその膨大な文物の遺構が発見され其れは3代秀衡の政庁跡ではないかと注目されている いわば陸奥の国衙だったろうか
世界遺産 黄金文化 貴重なトイレ跡
平泉では畳屋さんも御所畳店 アパートも平泉荘である 
金色堂・柳御所・伽羅御所・無量光院等平泉は西の京都・東の平泉とも言われた陸奥の黄金文化が花開いた一大文化都市であたという 
然し面白いのが余り表に出ないトイレの遺蹟がある 柳の御所からは『10基程のトイレ』が発見されているが其の中から何と尻を拭く『糞べら』が2000本程出てきたと言うのです 特に高級な糞べらは杉の柾目で出来ていて長さ30cm幅2cmの立派なものだそうです  こんなものは秀衡クラスが使用したのだろう 貴重品の紙では秀衡ですらとても尻などふけません 
さらに糞だめからは蝿のさなぎ回虫・鞭虫・さなだ虫の他鮎に寄生する横川吸虫・鮭鱒に寄生する日本海裂頭条虫等の寄生虫卵が土壌分析かみつかっている 不完全な調理と不衛生な下水施設であり陸奥守・鎮守府将軍のトイレがこれだから一般庶民のトイレ考は押して知るべしだろう 柳御所より現代の分譲住宅の方がずっと素晴らしいのです 
 
国史跡無量光院跡 ここには何もないのでピンとこないが往時の無量光院を描いた想像図だ 北上川を宇治川に見立て平等院鳳凰堂より一回り大きかった無量光院はさぞかし見事だったろう  今平泉は黄金の金色堂だけがその栄華の跡を偲ばせるが金色堂は4代の御廟でお墓に過ぎない 然しその小堂であの黄金だから今国指定史跡として土の下に眠る御所や多くの塔堂伽藍の豊富な黄金や銀・螺鈿細工は想像を絶します 黄金の国ジパングのマルコポーロの東方見聞録や後の大航海時代の幕開けのきっかけとなったのはまんざら大げさではないでしょう 
  卯の花清水の跡
高館の丘の北側裏の麓で東北本線踏み切りの隣にある 昔はここからこんこんと湧き水が出ていたがいつの間にか枯れ果てたのです ここにある句碑は
     卯の花に 兼房見ゆる 白髪かな   曾良 
曾良が66歳の白髪の老臣兼房の奮戦振りに詠んだ句から何時の間にか卯の花清水と呼ばれる様になったのです 
  国指定史跡 無量光院跡地   
伽羅の御所は秀衡の常居所 つまり私邸であるという  でも御所や無量光院等国指定史跡にもかかわらず上物が何もないのでチョット物足りないのは私だけでしょうか 価値あるものはすべて土の下なのです

束稲山 其の5