恋瀬川 古代には信筑川 志筑川と呼ばれている  石岡市内国道6号線の恋瀬橋(右)から恋瀬川上流を見る 遥かに筑波嶺が見えます このロマンチックな名称は多数あるようだが石岡には古代国府があり国府瀬川が訛って恋瀬川になったと考えられる こう言う例は意外と多く国府の港が恋の港 国府の山が恋の山と例である 例として 夫木和歌集に恋の歌で
人をのみ こふ(恋)の港に 寄る波は 袖をのみこそ 打ち濡らしけれ 
 恋瀬川 X
 高浜神社






恋瀬川 同じく6号線の恋瀬橋から河口を見る この数百m先には霞ケ浦に注ぐ高浜の海である 当時は神社まで海だったのです その河口にあるのが高浜神社(右) 高浜の地は古代には国府の外港として栄え国司が鹿島神社に参拝するには高浜から出港したが荒天で出港不能の時は高浜の渚に生える薄・真菰・葦等の青草で仮屋をつくり遥拝したという それが青屋祭りの始まりである その仮屋を青屋と呼び現在青屋神社(右端下)として石岡市内にある 上左 国指定史跡舟塚山古墳 石岡市
市内から高浜神社へ向かう途中にある 東日本第2位規模を誇る  長さ186m 前方部幅100m 前方部高さ10m 後方部高さ11m で5世紀ごろのもの
 皆川屋旅籠(現木村家住宅) かすみがうら市 県指定文化財水戸街道稲吉宿に唯一残る江戸時代の建物だが現在改修中でブルーシートカバーのため見られず 近くに道標があったので載せました 清水中貫真鍋ヲ経テ土浦に至ル約二里 土田市川ヲ経テ石岡町ニ至ル約二里 と彫られている 
左 青屋神社
 中世の青屋祭は府中総社の宮祭りのひとつとして高浜・大洗磯崎・鹿島社のどの津で霞ケ浦と鹿島灘の安全と水産物の豊穣を神に祈願する行事で近世になると神事祭はこのあたりの青屋の馬場あたりで行われた 青薄と細竹で青屋を作り神遥拝は公家装束の税所氏と健児所氏の二人が侍姿の大勢の者を引き連れて参拝する(説明板)