大町四つ角旧札の辻の碑  野口英世青春通り
右 武士道の碑 鶴ヶ城前會津葵の前 揮毫 早乙女貢
台石は外濠の角石で博労町の豪商で茶人の磯部常松翁が庭の休み石として使っていたもの
 
     ならぬことはなりませぬ

 神指城土塁跡 本丸東西1町40間 南北2町50間 土塁幅10間 高さ6間 二の丸東西4町20間 南北4町50間 土塁幅15間 高さ4間と鶴ヶ城を凌ぐ陸奥一の巨大城跡神指城鶴ヶ城を越える巨大な幻の城跡である 会津120万石上杉景勝直江兼続を総奉行に命じて築城開始したが関が原で豊臣方が破れ徳川家康によりわずか3年で米沢30万石に減封され建設は未完成のまま半年で終る
下 国天然念記念物高瀬の大欅 神指城東北隅の土塁にある大木
  政府軍砲台陣地跡地から会津市内を見おろす 小田山
 砲台は少なくとも8か所確認されている ここから鶴ヶ城天守閣までの距離は1360mでアームストロング砲の射程距離は1500mあり高台からは余裕をもって着弾していた 特に佐賀藩の大砲は強力だったようだ 中央の森が鶴ヶ城である

下中右 西軍砲陣跡の碑





会津の里 其の11

 













左 長命寺戊辰戦懐古碑漢詩

百年の弾痕

今だ消えず

秋風何を語る

長命寺の畔

無名の万骨

苔石に鎮まり

香煙新たに迫る

忠魂の前
ぬりの辻 會津の漆塗り 
ぬりの文字は珍しく変換しても出てこなかった 鈴木漆器店角にあり案内版によるとこの漢字の音は「キュウ」と読み語義は『漆を以て物を塗る事』と書いてある  如何にも塗の町会津に相応しい 元外務大臣伊東正義筆 

    會津戦争土塀弾痕の跡 長命寺
慶応4年(1868)戊辰戦争8月29日ここ長命寺付近で大激戦があり東軍會津藩士側に多くの戦死者が出たのです 激戦の激しさを示す弾痕が土塀のあちこちに見え真に臨場感もって我々に迫ってきます これも一部のみの弾痕である
左中 長命寺戊辰戦懐古 長命寺
撃つもよし 討たるるもよし 瓦毛の 砕けてのちは 唯のつちくれ