出羽なる 奈曽の白橋 なれてしも 人もあやなく 恋渡るかな
                             
夫木和歌抄 詠み人知れず
ちはやぶる 神は誓ひの 結たすき かけてぞ渡る 奈曽の白橋
                  
夫木和歌抄 詠み人知れず

金峰神社 白滝の深い渓谷の絶壁に建ち老杉や木々の緑に囲まれた素晴らしい神社  ここは早い時期から修験道の拠点のつで鳥海山象潟口登拝者の宿泊や先達する修験の里であったと言う 白鳳8年役行者留次郎が鳥海山の大己貴神に薬師如来を 小滝の小名彦神に蔵王権現んを習合した山岳信仰と神仏習合思想が合体し更に自覚大師鳥海大権現 蔵王大権現を勧進して鳥海山護持祈祷所として開基したのが始まりとも云う つまり慈覚大師が鳥海山に住んでる手長足長と云う鬼を退治に成功したので53段の石段と土舞台を築き奉納したのに始まるという。鳥海山は標高2237mの陸奥一で有史以来の度重なる噴火・溶岩の脅威は里の人にとっては火を噴く荒ぶる神・大物忌の神{大いなる物忌みの神様)としてあがめられ恐れられてき この境内に凡そ5m四方の土だけの舞台があるがある この舞台をチョウクライ山と呼ぶのだそうです ここで延年奉納されるチョウクライ舞と云う舞が国指定重要無形民族文化財にしていされている

    


日本観光地選定会議並びに毎日新聞社共催の「新日本観光地百選」の瀑布の部で88,226票で堂々第十位入選と云う名瀑布「名曽の白滝」の上に架かるのが「名曽の白橋」である(因みに第一位は三重県名張市の赤目48滝で4kmにわたり沢山の滝がある。 日本三名瀑は那智・袋田・華厳の滝)。象潟から凡そ5m東方鳥海ブルーラインに入る手前県道131号の名曽川に架かる橋である。どちらかと云うと白橋より白滝の方がずっと知名度はあるようだ。名曽の白滝は昭和7年5月19日には既に内務大臣指定の国の名勝文化財になってるのである。象潟町史にある指定理由は「鳥海山の金峰神社境内を含む奈曾川上流の渓谷なり。輝石安山岩の溶岩絶壁をなし白漠その間に懸かる高さ約26m、幅約11m。水量豊富也。・・・漠下の漂い深くして広く渓谷のもと瀑布の後退により生じたものに係り。両岸の絶壁険峻にして樹木その間に密生す。水流亦岩石点在の中を奔流して壮観を呈す。上に、高原と名山とを望み、下に瀑布と渓谷とを見る地域甚だ大ならざるも景観雄大也」となっている。誠に其の通りの春夏秋冬きっと素晴らしい滝ではある。所で白滝は象潟町小滝字名曽沢129番地金峯神社境内内にある。ここには鳥海山の語源となった云われる国の無形文化財に指定されているチョウクライロ舞と言う伝統の古代舞楽があるのです。歴史学者高橋富雄氏によるとチョウクライロとは古代中国6世紀南北朝時代にの北斉に長恭と云う名の蘭陸王がいたのです。彼は戦争毎に異形の仮面をつけて戦い常に勝利したと言う。その勝利を祝う舞が「長恭蘭陸王」の舞なのである。「チョウ・キョウ・ラン・リョウ・オウ」が「恭がク」・「蘭がライ」に訛り「チョウクライロ」となたのです。つまり「チョウクライロ」の山が長い年月と訛りを経て「チョウカイ」山となり鳥海山となったと云うのです。他にも神武天皇に敗れた鳥見安日彦(とみのあぴひこ)・鳥見長脛彦(とみのながすねひこ)のとみとりみ鳥海(とりうみ)となりちょうかいとなったとか諸説紛々なのです。鳥海山頂は竜頭山とも呼ばれています。そこから流れる神川が名曽川でその下界に降りる滝が名曽の白滝です。竜頭山から竜王(陸王・鳥海神)が奈曾川を下り人界に遊幸する。名曽の白滝を下ったところで是を迎える舞がチョウクライロ舞なのです。余り我々には馴染みがない奈曾川ですが神体山である鳥海山の神様が下界に遊びに下る川だったのです。そして神様の通り道に橋を架けて人の通り道にしたのが名曽の白橋なのです。伝承とは本当に不思議である。(平成17年12月7日)(参考 古代語の東北学 歴史春秋社 象潟町史 秋田県の歴史散歩 山川出版社 東北ふしぎ探訪 無明舎出版)
                  奈曽の白橋