上左 蚶満寺島
上 西行法師歌桜とその碑(右隣)
「花のうへ漕ぐ・・・・」と詠んだという この桜の下で散る花を見ながら歌を詠んだところとしているのも面白い 
右 猿丸太夫姿見の井戸とその碑(上右)
蚶満寺の七不思議のひとつとされていて猿丸太夫が象潟に来た時にこの井戸に自分の姿を映して自分の行く末を占っとされている  夜中に誰にも知られずに井戸に来て自分の姿を映せば自分の将来の姿が見えるという
左 親鸞聖人腰掛の石 
栞によると九州西方寺にあったものを切支丹の変を避けて北海道に運ぶ途中時化(しけ)に遭い象潟に陸揚げしてここに納めたと云うのだ
  菅江真澄の記述には『・・・冬枯れの灌木の傍らに『象潟の雨やせいしか・・・』と記しているのははせうの翁のつか石である 短い衣を着た法師がこの腰掛石に休んで松島をしばしほかまを見つつ来てここにあわれを象潟の浦  との聖人の歌を唱えて南無阿弥陀仏と念じて去ったと人が語っている』と書いている

奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき
  
百人一首 猿丸太夫   は平安初期36歌選の一人猿丸太夫の歌と言われる 然し彼の実像は歌ほどは殆ど知られていない あちこち伝説や墓石があるらしいが流浪の果てにここ象潟にきて小道の傍らの井戸で我が身を映して都の雅な己とは余りにも変わり果てやつれた姿をを見て嘆いたと言う井戸である

 袖掛地蔵堂 応神天皇出生の地
神功皇后が臨月のため産屋の有った所

と云われている ここで皇后は霜月15日に応神天皇を出産された 翌年4月吉日修理の終えた舟で入り江鰐淵から筑紫の香椎宮へ向かわれたと言う 
 ねむの丘にある西施像
上左 神功皇后袖掛けの松

地蔵堂のまん前にある 又隣には皇后殿袖掛八幡・大塩越には皇后腰掛八幡・中塩越には船着八幡等があり皇后伝説が一杯だ
出羽風土記には『象潟は上古よりの名勝にてその創始を知らず 一説に嘉祥年間の地変に出来(なれ)りというも未だ確(さだ)かならず その景色の勝れたるたるは奥の松島と並称せられて古歌にも多く詠み絵画にも写し世人の普く知る所なり・・・斯かる名勝も文化元年六月の地震に埋没して水漏れ沙現れ空く島嶼のみ残りし 岸高く松緑に八十八潟九十九森の疇昔(むかし)彷徨たりしも如何にせん 年振るに従い無情の農夫等が松を伐り島を崩し己が随意開墾し今は美壌良田と成りたるも僅か八十余年に其間に名負勝池も頓(突然)に絶えなんとす…』とある 
     象潟 その5