接待館跡 現在衣川流域変更工事中だが平泉柳の御所に匹敵する規模が確認され一体で国指定史跡となっている接待館は藤原秀衡の母堂の居宅跡で平泉の迎賓館であったらしい 目の前に衣川が流れ対岸は金色堂の関山である 実は義経が泰衡に襲撃されたのは狭い高舘ではなく衣川のここではないかとの説が有力になってきてるのです |

八幡神社から見える小山が安部館のあった所 この間で源氏・清原連合軍と安部軍が激闘を演じた旧殿古戦場である 安部氏3代忠頼・忠良・頼良80年の居城が安部西館(下左)と東舘(下右)である 森の丘陵がそれで舞鶴館 落合館とも呼ばれた 下の田の畦に標柱が平坦の所に東舘があった |

国指定史跡 白鳥柵 前9年の役では安部貞任の弟白鳥八郎則任の居所 御覧の様に北上川が蛇行する狭隘な所に有り行き交う船の監視する陸・海運の要所であった 後三年の役後は清原真衡の居館とも言われる 現地の白鳥柵説明版にあった写真を掲載した 陸奥話記に『康平5年(1062)9月7日関を破り胆沢の郡白鳥村に到る 大麻生野及び瀬原の二柵を攻めて之を抜き生虜一人を得たり』とある |