
官公夫人の娘姉妹が住んでいた所と云うので姉体の地名になったと言う 何故か東磐井郡や奥州市には道真公縁の神社等が10社程あるのです
稲瀬の渡し 其の5
 |
 |
上 北上夜曲の碑 水沢区の水沢競馬場裏を流れる小谷木橋の北上川の河川敷にある
残念ながら流れは見えない 作詞者菊池 規氏がこの詩碑のある側の小谷木橋を渡り出身校の水沢農学校に通っていてこの付近の北上川の風景が彼の詩想を呼び起こした最有力地であるとしてここに碑が建立された 一番のみの歌詞が彫られてる
左 鳥海柵 胆沢城の北金ヶ崎町鳥海地内
安倍氏12柵の内唯一確認されてる柵 ここの主は安倍頼時の三男宗任である 捕虜となった彼は都の貴族の前に引き出され梅の花を見せびらかしてて『この花はお前の国では何と云うか?』と蔑み聞かれると 宗任は
わが国の 梅の花とは みたれども
大宮人は いかがいふらむ
と答たのでその教養の深さに貴族は驚いたという 尚宗任の娘が平泉藤原基衡に嫁ぎ三代秀衡の母となるのである 後に都から四国伊予の国に流され更にそこから九州筑紫に流された安倍宗任の末裔が松浦党となりその末裔が政治家安倍晋太郎・元総理大臣安倍晋三氏の祖となるとは誰も想像できない歴史の面白さだろう |
 |
上右 於呂閉志胆沢川神社
奥州市胆沢区
於呂閉志胆沢川神社は 大同2年(807)坂上田村麻呂勧進の胆沢川神社と広仁元年(810)嵯峨天皇勧進と伝える於呂閉志神社が明治4年同床に合祀されたもので延喜式神名帳延暦17年(789)に記載された由緒ある神社 壽庵堰はこのすぐ南側を流れる
胆沢町国道397号(仙北街道 別名安倍の道)沿の徳水園近くにある いかにも蝦夷の地の名称である 蝦夷の長で邑良志別君(おろしへのきみ)宇蘇弥奈の名が日本紀略・続日本記に出ている こう言う名を見ると1200年の時間差が無くなるのを感じる
右 後藤寿庵が開削した胆沢川取水口跡がある
奥州市胆沢区 |
 |