左 大佛殿と右 通称奥の院(如法堂)と中 金燈篭
 奥の院(如法堂)には慈覚大師が全国を巡錫するときに背負っていた三国伝来の釈迦牟尼仏と多宝如来坐像・多聞天持国天・十羅刹女を安置する 大仏殿には座高5mの金色の阿弥陀如来があり毎日卒塔婆供養が行われる 中央の金燈篭は日本三大灯篭の一つ(香川県琴平町の金比羅宮と宮城県石巻市の金華山神社)とされるが一般的には京都南禅寺・名古屋熱田神宮・日光東照宮である
 

蝉塚
蝉塚
は 明和年間に最上林崎の俳人坂部壷中芭蕉の風雅を偲んで『閑さや』の名句を書いた短冊を埋め石の塚をたて蝉塚と名づけた 後年この蝉の種類についての有名な論争があるのです  山形上山出身の歌人斉藤茂吉と漱石の門人で東北大学教授小宮豊隆の蝉論争である➡

山内支院上は性相院  奥の院の門前には性相院・金乗院・中性院・華蔵院の四つの支院があり江戸時代までは12の支院あり多くの僧が修業に励んだという
➡ 茂吉のアブラゼミと教授のニニゼミである 実地調査の結果芭蕉が尋ねた7月中旬には未だアブラゼミは鳴かないのです ニイニイゼミかヒグラシゼミの教授に軍配が上がったのは有名  当初芭蕉は『山寺や 石にしみつく 蝉の声』と詠んだが後に『さびしさや 石にしみ込む 蝉の声』と改作し最後に『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』と改めた

開山堂と五大堂 次頁
開山堂は開祖慈覚大師円仁を祀る御堂 五大堂は開山30年後に建立され五代明王を祀る道場
 
国指定重要文化財立石寺三重小塔  全国最小の三重の塔
各重柱一間の三重塔 岩屋をお堂にみたててその厨子に替えて建てられたもので屋根の上の相輪には永正16年(1519)の銘があり室町時代の作であることが判明 奥の院の直下の塔頭華藏院境内の岩谷内にある 

仁王門 
嘉永元年(1848)再建 奥の院8合目付近にある 左右に背丈7尺の仁王尊がある 運慶13代の末裔の作と伝える 新雪・深緑・紅葉と春夏秋冬隋一の立石寺の象徴的景観を誇ると言う
 
四寸道
 自然に沿った14cmの僅かな参道は別名行者道とも呼ばれ往時の修行僧の険しさを物語る 又親子道とも呼ばれ昔両親が登った道を子供も辿る事から名づけられたと言う 左の大きな岩石の上に慈覚大師を含む五人の御遺体が眠る入定窟でる
 山寺 其の3