
上 国登録有形文化財 旧鶴岡警察大山分署
明治18年築 鶴岡市大山2-23
下 国指定重要文化財 西田川郡役所 鶴岡市家中新町
明治13年築 当時の県令三島通庸の命により地元の大工高橋兼吉 石井竹次郎によって築造 明治14年の明治天皇東北巡行の際の宿舎となる由緒を持つ |

大寶館 鶴岡市馬場町
易経『天地の大徳を生という 聖人の大寶を位という』からとった 大正天皇の即位を記念して大正4年に建てられた 高山樗牛の資料がある |
➡論語『君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス』に由来するが孔子の思想と荻生徂徠の学風を軸に明治6年廃校になるまで孝悌忠信・武道習得のメッカとなる 自主性の教育方針と質実剛健の庄内武士の根源となる この藩校建築は現存するものとしては東北唯一のもの
袖の浦 其の4

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➡江戸庄内藩邸御隠殿の赤門は文久3年11代藩主酒井忠発のの隠居所として建てれた赤門

延喜式内社遠賀神社 鶴岡市井岡字和田
同姓同名の延喜式内社遠賀神社が鶴岡市遠賀原にもある
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福島中学校は現在郡山市にある安積高校の前身である 福島中学は往時一県一中学校制で福島市に設立されたが明治19年校舎の火災を機に県庁を福島市に置く替わりに郡山市に移設された(後の福島尋常第一中学校) 福島高校が安積高校より創立が10年遅いのはその為である 高山樗牛はその一期生として入学したが2年で中退して上京した この一県一中制度は明治24年に廃止され明治31年県都に福島第三尋常中学校(福島中学・現福島高校)が新設された 因みに第二中学は現磐城高校・第四中学は現相馬高校である 薩長新政府の遺恨により會津には設置されなかった |