左 那須の篠原 大田原市関東富士見百景の地御亭山山頂から 正面遠く薄っすら見える山 左 日光男体山 右 女体山 気象が完璧ならここから那須連邦 富士山 筑波山 八溝山も見える
清少納言の枕草子の草花云々の項に下毛草(しもつけの花)が載せてあり最も美しき花なり とあるのは凄いですね
うゑて見る 君だに知らぬ 花なれば 
    我しもつげん ことのあやしき
  
     拾遺和歌集 詠み人知れず
下右 那須与一像 大田原信用金庫本店前  平家物語にある讃岐屋島の合戦扇の的の名場面は有名である 然し記述によるとその距離七〜八段は凡そ76から87mであったと云う 現在の日本の競技の和弓の距離は28m 例年恒例の京都33間堂の遠距離が60mと云う 馬上の与一と船上の揺れる小さな扇 そして海上の風で果たして正確に的を射落とせたかは如何なものでしょうか
 



  上 印南丈作頌徳碑 烏森神社境内  
矢板武
と共に那須野が原原野開拓の恩人の業績を讃える 共ににある

左 源 実朝歌碑  烏森神社境内
頼朝の次男将軍実朝は鎌倉八幡宮で甥の公暁に暗殺され源氏の直系は断絶した 彼は勅撰集に92 百人一首に1載せられ 私家集として金槐和歌集がある 武人と云うより歌人であったようだ
下左端 那須野が原鎮護 開拓のお社 烏が森神社 
源頼朝
の那須野が原巻狩りの際の展望所であり 明治時代になると伊藤博文 松方正義がこの丘陵から那須野が原を遠望して開拓の約束し その後明治天皇の名代として有栖川の宮親王殿下が神社に参拝して那須開墾社の印南・矢板の労をねぎらった 那須開拓の原点のお社である 烏森神社は那須塩原市の那須野が原公園丘陵にある