三毳山 三香保の関 今岩舟駅の南一里、平原に突起せる小丘にして、俗に大田和山と呼ぶ、越名沼其西にあり。美香保崎、国誌云、ミカホも三毳の訛にて、三毳山の崎を云ふ、八雲御抄に、三香保崎は慈覚大師誕生の地とありて、今下津原の盥窪(たらいくぼ)に其の産湯の旧跡あり、此の山の北より西に、関川と云ふ流あり、末は鯉名沼に入り、江尻は更に安蘇川に落ちる、三香保関とて歌枕に其詠あり、扠三毳山は万葉に見え、扠三毳とは元来『真氈』なり、延喜式蔵寮式に、『氈十枚、下野国所進』とありて当国は古へ好毛席うを織りて奉げし也。和名抄に、氈は『賀母、毛席撚毛為関』とあり、真は美とも通じ、称美の辞とす、今は三毳に作る。 

関東の高野山と呼ばれた岩船山 荒々しい山肌は船の形なのだそうだ
下 岩船山高勝寺
宝亀8年(775)の開基で日本三地蔵の第一の霊場で岩船山は死者の霊魂の集まる所として民族学的にも貴重な山という この山頂から見る佐野市内を含む渡良瀬遊水地一帯の景色は絶景だし三毳山がぽっかり浮かんで見えます


石ふまぬ 安蘇の河原に ゆきくれて 美香保の崎に けふやまとらむ  新千載和歌集
下左端・下中 麓にある三毳神社参道三毳山鎮座三毳神社碑
上中 三毳山の万葉歌碑
この歌は高校時代の古文のテキストに載っていたので三毳山は何となく頭の隅に残っていた 碑は三毳神社境内にある 昭和22年5月3日民主的日本国憲法制定を記念して建てられた 意味は三毳山に生えている小楢の木のような可愛い子は誰の笥(食器)を持つのかなぁ〜(つまり誰の嫁さんになるのかな)とある(説明板) 優美な姿は奈良若草山に例えられ県営都市公園として整備されている

 三毳神社参道左手に入口にある歌碑だが読めない
(三毳山V参照)