安蘇の河原の万葉歌碑
      秋山川河畔
下つ毛野 安蘇の河原よ 石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告れ 
下 秋山川(
安蘇川
碑のある安蘇川(秋山川)は整備され万葉の風情はない 碑の後ろの現代語訳は
私はこの河原の石を踏んだのも気づかないほど夢中に空を飛ぶ気持で急いで貴女に逢いに来たの 是非貴女の気持ちを聞かせてください とある
安蘇の地名は下野(栃木)や上野(群馬)にもありどうもややこしくわかりにくい 古代には安蘇は群馬・栃木にまたがっていたか国境である渡良瀬川の流れが度々変わったのかもしれない 同じように佐野についても栃木県に佐野市がるあるが群馬には佐野の船橋とか佐野の渡しの歌枕がある

 唐沢神社
下右 唐沢山から見た佐野市の安蘇の山々

  唐沢城跡唐沢城は平安時代の延長5年(927)藤原秀郷が従五位下下野国押領使に叙任され関東に下向し時この唐沢山に城を築いたのが始まりという 天慶3年(940)平将門による天慶の乱を平定した秀郷は従四位武蔵・下野両国の鎮守府将軍を拝領した 唐沢神社はその藤原秀郷を祀る為明治になり建立された神社だ 秀郷で有名なのは百足退治の伝説だ 弓の名手の彼が琵琶湖の瀬田の唐橋を渡ろうとすると竜神に近江の三上山を七巻もする大百足退治を依頼され見事成し遂げた逸話でしょう