秩     父 

   武蔵禰能 乎美禰見可久志 和須礼遊久  儀美我名可気? 安乎禰思奈久流 
  武蔵嶺の 小峯み隠し 忘れ行く 君が名懸けて 吾を音し泣くる  万葉集巻14-3379

   於保儀美乃 美己等可之古美 宇都久之気  麻古我?波奈利之 之麻豆多比由久
 大君の 命畏み 美しき 真子が手離り 島伝い行く 万葉集巻20-4414 右一首 助丁 秩父郡大伴部小歳
秩父郡の助丁(隊長補佐)クラスの大伴部小歳なる人物が防人として出かけた時の歌  前の一首は彼の妻の歌か?
 歌中に秩父の名は見えないが秩父郡の人物が詠んだ歌なので載せました  秩父吉田小学校 秩父市下吉田3833  小学校の庭内に1995年再建された碑が置かれている この碑に上の歌二首が万葉仮名で彫られている 下左 旧万葉歌碑 現在閉鎖されている吉田町歴史資料館前にある 下中 秩父氏館跡と万葉歌碑 桓武天皇6代の孫平将常が武蔵国権守に任ぜられ秩父郡中村郷に任じて秩父氏を名乗ったのに始る その子武基が秩父牧別当を兼ねていたので下吉田枚林に館を築きその子武綱が鶴窪大地にを選び居宅とした 下右 新しく造られた万葉歌碑 
 
 
 
 ジオパーク(大地の公園)秩父 国指定名勝 長瀞 国特別天然記念物 岩畳 秩父郡長瀞町長瀞  明治11年(1878)ドイツ人ナウマン博士によって発見される この辺り一帯は特殊な地形で地質学的に極めて珍しくそれを間近に見れる事から地球の窓とも言われる ウイキペディアによると山波川変成帯と言われる変成岩が地表に露出してる為  荒川中流にありさまざまな形の巨岩のある淵瀬や高さ数十mの秩父赤壁といわれる岩壁や虎の毛皮のような虎岩をなしている 岩畳と岩壁は大規模な地殻変動によるもので地質学研究に好適な自然の博物館
上左端 県立自然の博物館前にある日本地質学発祥の地碑 碑の文字によると記念碑に使われた石は『赤鉄石英片岩とよばれる この辺り一帯に薄く広く分布する石で碑は岩石の自然の割れ目を旨く利用して前後は節理と呼ばれる平らな割れ目からなっている』と地質学的説明が彫られている  上中右 宮沢賢治歌碑 つくづくと 粋な模様の 博多帯 荒川ぎしの 片岩のいろ  碑の背後には凡そ以下の文字が彫られている 『宮沢賢治は明治29年8月27日 岩手県の盛岡高等農林学校2年 20歳の時地質調査研究のため先生学友と共に秩父地方を訪れ大正5年(1916)9月3日虎岩を見学 その美しさを歌に詠んだもの』   上右端 高浜虚子句碑 月の石もみじ公園 ここに我 句を留むべき 月の石 仲秋の名月時に詠んだとされ公園の名称となった   
上左 賢治が詠んだ虎岩 ネットより拝借 上中 和同開珎の遺跡碑 上右 聖神社 秩父市黒谷管仁田2191  慶雲5年(708)この地から自然銅が発見され和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社 石碑には『・・・とう社はこの歴史的由緒ある自然銅を主神をとして祀り金山彦命・元明金命を合祀して・・・』とある 金運隆盛の銭神様と呼ばれる  
上右端左 聖神社 ロトや宝くじの高額当選のお礼の御札が多数 金運アップ間違いなし 上中左 和同開珎モニュメント 露天堀前の高さ5mの記念碑 上右端 聖神社ご神体 2個の大(17,6kg)小(0,48kg)の自然銅(精錬不要の熟銅)元明天皇から下賜された雌雄一対の銅製百足(蜈蚣 ネットより拝借) お足(お金)が沢山貯まるように・・・か((^▽^) 
 
上 武甲山 埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山である 秩父盆地の南側にあり標高は1,304メートル 日本二百名山の一つに数えられる  秩父地方の総社である秩父神社の神奈備山である 無形文化遺産の秩父夜祭は 武甲山と強い関わりがあるとされている

 上 秩父神社  中世以降は関東武士団の源流平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し長く秩父妙見宮として隆盛を極めた 秩父の国初代国造八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の十世の子孫である知知夫彦命が祖神を祀った事に始る2100年超の由緒在る神社 現存する社殿は天正20年(1592)に徳川家康公が寄進したもので江戸時代初期の建築様式をよく留めているという  毎年12月に行われる例祭秩父夜祭ユネスコ無形文化遺産に登録されており京都の祇園祭・飛騨の高山祭とともに日本三大曳山祭及び日本三大美祭に数えられる 上中右 秩父宮妃(旧姓松平勢津子・会津藩)御歌碑 神垣も 新たになりて みゆかりの 秩父のさとわ いよよ栄えん 昭和天皇の弟宮秩父宮雍仁親王も昭和28年に合祀され祭神として祀られている  上右端 秩父元気3猿 日光の見猿・言わ猿・聞か猿に対して秩父3猿は よく見・よく聞き・よく話す です