住吉大社(住之江)
住の江は摂津の国の歌枕で今の大阪府の住吉大社の付近の海の入り江であった 住吉の津などとも呼ばれた
住の江の 岸に寄る波 よるさへや  夢の通い路 人目よくらむ         古今和歌集 藤原敏行
我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく代へぬらむ             古今和歌集 詠み人知れず
住之江の 松のねたくや よる浪の よるとはなげく 夢をだに見て             藤原定家
まつかげや 岸による浪 よるばかり しばしぞ涼む 住吉の濱                藤原定家
左 万葉時代の住吉地形
現在の住吉神社境内の太鼓橋の奥までが入り江になっていたのが分かる 住吉神社の入り江には住吉の津と彫られている 又下の万葉集の歌が彫られています
住吉の 得名津に立ちて 見渡せば 
   武庫の泊ゆ 出づる船人 
    巻3-283 高市黒人 

血沼廻より 雨ぞ降りくる
 四極(しはつ)の白水郎(海女 )網手綱乾せり 濡れあへむかも
 
              巻6-999 守部 王
住吉の 小田を刈らす子 奴かも無き
    奴あれど 妹が御為と 私田刈る
  巻7-1275

左の住吉地形には万葉歌に詠まれたしはつ道・得名津・遠里小野・粉浜・敷津の浦・出見の浜・玉出・あられ松原・浅沢小野等の地名が記載されている 住吉の前の海をちぬ(血沼)の海と呼ばれた 
住吉の 粉浜のしじみ 開けも見ず 隠てのみや 恋ひ渡りなむ           万葉集巻6-997
暇あらば 拾いに行かむ 住吉の 岸に寄るといふ 恋忘貝              万葉集巻7-1147
住吉の 敷津の浦の 名告藻(なのりそ)の 名は告りてしを 逢はなくもあやし       万葉集巻12-3076 
日本書紀や古事記の神代の巻での伝承(住吉大社HPより)
伊邪那岐命 は火神の出産で亡くなった妻・伊邪那美命 を追い黄泉の国に行くが妻を連れて戻ってくることができず逆にケガレを受けてしまった そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき住吉大神である底筒男命・中筒男命表筒男命 が生まれた  故に古来海上守護・産業・文化・貿易の祖伸として崇められてきた
上左端 巨大常夜燈 住吉大社には600基以上の石燈籠があり非常に大きな石燈籠も沢山ある その中で一番背の高い石燈籠は反橋前の絵馬殿横の「永代常夜燈」。和州吉野郡材木商人寄進で 高さ35.8尺(10.57m) 安政5年(1858年)建立 とある  上中  住吉大社の象徴である太鼓橋(反橋) 石の橋脚は慶長年間淀殿が奉納した 昔はこの辺りまでが入り江の渚であった 川端康成も小説反橋では『登るより降りる方が難しい』 と書いている 確かに難しいい この橋を渡のは罪や穢れを払い清めるため 反っているのは地上の人の国と天上神の国を繋ぐ虹に例えている   
   
上左端 太鼓橋正面    上右端 万葉歌碑 海上の神を祀るに相応しいい古代の船をかたどった珍しいい歌碑 人物は案内してくれた友人矢作氏
上中 万葉歌碑の歌 :住吉に 斎(いつ)く祝(はふり)が 神言(かむごと)と 行くとも来とも 船は早けむ 万葉集巻19-4243 多治比真人士 遣唐使に餞する歌
:草枕 旅行く君と 知らませば 岸の黄土に にほほさましを 巻1-69清江娘子 長皇子に進むる歌 とある 
 
  
上左 住吉大社 大阪市住吉区住吉2丁目 延喜式内社 摂津国一宮二十二社の1つ 旧社格は官幣大社で現在は神社本庁の別表神社 全国にある住吉神社の総本社 本殿4棟は国宝に指定 第三本宮表筒男命(手前左) 第二宮中筒男命(第三の後ろ) 第一本宮底筒男命(第二の後ろ 一番奥) 第四本宮息長足姫命(神功皇后 第三の横) 本殿は住吉造りとして神社建築上最も古い様式である 他に国重要文化財が27点ほどある
上右 大社入口     
我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく代へぬらむ      古今和歌集 詠み人知れず 
   
上左端 高燈篭 江戸時代になって海上交通が特に盛んになると夜間大阪湾に出入りする船のための目印が必要となり住吉公園の西十三間堀川町に建てられたのが我が国最初の燈台『住吉の高燈籠』である 高燈籠の創建は鎌倉時代といわれ本来は住吉大社に捧げる常夜燈なのですが次第に航路標識としての役割が大きくなってきました 上中 汐掛道 此の参道は昔住吉大社の神事の馬場として使われていた場所で社前から松原が続き出見の濱に出る名勝の地であった 浜で清められた神輿が通るために汐掛道と称した  古くから白砂青松の歌枕の地として多くの文人墨客が往来した 上右端 松尾芭蕉句   桝買て分別かはる月見かな   松尾芭蕉は元禄七年(1694)故郷の上野から奈良を経て大阪に入り住吉の宝の市で名物の桝を購入 住吉の津は海外貿易の拠点で定期市が開かれ経済や文化の発展にも大きな役割を果たした 宝の市はその名残りで住吉大社前で桝を参詣人で賑わった 芭蕉は南御堂近くで没しているので住吉詣でと宝の市は生涯最後の旅でここがゆかりの地となっている
      住吉の 出見の濱の 柴は刈りそね 未通女らが 赤裳の裾の 濡れつゆく見る    万葉集巻7-1274
      住吉御文庫  享保8年(1723)大阪・京都・江戸の書林20人が発起して書籍奉納のために書庫を建てました この「住吉御文庫」が大阪最古の図書館と言われています 奉納された書物は和書漢冊洋装本を併せると1万点以上数万冊に及ぶという 研究者垂涎の貴重な書類が多数である
住吉の 遠里小野の 真榛もち 
       摺れる衣の 盛過ぎゆく
     巻7-1156
住吉の 浅沢小野の かきつばた 
       衣に摺りつけ 着む日知らすも
  巻7-1361

住吉の 沖つ白波 風吹けば 
       来寄する浜を 見れば清しも   
巻7-1158

♪高砂や この浦船に 帆を挙げて この浦船に帆を挙げて
 月もろともに 出で汐の
 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて   
 はや住之江に 着きにけり はや住之江に 着きにけり♪
             鳴尾=松の名所(西宮市南東部)