須磨の関
淡路島 かよふ千鳥の 啼く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守      金葉和歌集  源 兼昌
須磨の関は大宝律令にある摂津の関の事で海陸が接近した関で天下の三関(美濃不破の関・伊勢鈴鹿の関・越前愛発の関)に次ぐ重要な関所あった 関稲荷神社はこの関の守護神として祀られたと伝えるが他に現光寺や多伊畑のどの諸説もあるようだ 摂津の国須磨 現在の神戸市須磨区 と言へば平安時代は未だ流謫の地で在原業平の兄行平が流れ住んだ地でもある その故実に創作されたのが源氏物語須磨の巻である 老いた光源氏が隠遁していたこの須磨で 
友千鳥 もろ声に啼く 暁は ひとり寝覚の 床もたのもし と詠んだいう歌も上の兼昌の歌を踏まえて詠んでいる       
須磨の関古歌 須磨の関跡 関守稲荷神社境内       神戸市須磨区関守町1-3-20 
     
 上左 淡路島と明石海峡と明石大橋   神戸市須磨区須磨浦公園鉢伏山         上右 源 兼昌の歌碑 関守稲荷公園内
いつもかく 有明の月の 明け方は 物や悲しき 須磨の関守       千載和歌集  法眼兼覚
淡路島 はるかに見つる 浮雲も 須磨の関屋に 時雨きにけり       玉葉和歌集  藤原家隆
     
史蹟須磨関屋跡 関守稲荷神社  神戸市須磨区関守町1丁目3-20 須磨の関の守護神として祀られたと伝えられ稲荷神社境内には正面に『長田宮』側面には『川東左右関屋跡』と彫られた大きな石柱がある  しかしこれは明治時代初期に市バス須磨駅から東100mの千森川(現在暗渠)と旧西国街道の交叉する所から掘り出されたのが移されたもので須磨の関が実際はどこにあったのかは未だはっきりとしない(現光寺・関守稲荷神社・多井畑厄神のいずれかの近くにあったという三説がある) 
播磨路や 須磨の関屋の 板庇 月漏れとてや まばらなるらん    
千載和歌集 源 師俊
   
上左 桜花 たが世の若木  ふり果てて  須磨の関屋の  跡うづむらん         藤原 定家  須磨関屋稲荷神社境内
上右 聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな            藤原 俊成  須磨関屋稲荷神社境内
俊成と定家は親子で父俊成は和歌界のゴッドファーザーともいわれ定家をはじめ寂蓮・藤原家隆・後鳥羽院・九条良経・式子内親王などの優秀な歌人を多数排出し息子定家も百人一首新古今和歌集の選者で家集拾遺愚集等有名で56年に及ぶ日記『明月記』は現在国宝に指定されている
       
藩架山現光寺 神戸市須磨区須磨町1-1-6   紫式部の『源氏物語 須磨の巻』光源氏の居住地跡の伝承がありもとは『源氏寺と呼ばれていた 上中の源氏寺碑の裏側が上右であり源氏物語12帖須磨の巻の一部が彫られていました 『おはすべきと所は行平中納言の藻潮をたれつつわびける家居(いえい)近きなりわたりけり 海面(うみづら)はやや入りてあはれにすごけなる山なかり』 平成六年秋彼岸 當山二十一世釋御冬建之 施主 金谷豊一 とある 実はここが須磨の関との説もあるのです 
秋風の 関吹き越ゆる たびごとに 聲うち添ふる 須磨の浦浪        新古今和歌集 壬生忠見  
       
上左 源氏寺と光源氏月見の松 松の前にある説明板には謡曲『須磨源氏』は『日向国宮崎の社宮藤原興範が伊勢参宮の途次須磨の浦に立寄ると老樵夫が桜の木陰から現われ光源氏の一代の略歴を物語り自分はその化であることを仄めかす その夜旅枕の興範の前に菩薩となっている光源氏が兜卒天より気高く優麗な姿で天下り在りし日の須磨のくらしを回想しつつ青海波の舞を舞って夜明けと共に消え失せるという典雅な曲である』との文言が書いてあった 須磨は古来観月の名所として名高く平安時代の王朝ロマンの主人公光源氏が複雑なしがらみの中で傷ついた心をなぐさめるのに格好の地だと今を去る千年の昔に生きた紫式部も知っていたのでありましょう 源光寺・源氏寺とも呼ばれ境内の老松に月のかかった秋の夜など殊更流離の源氏の君が藩架(ませがき)をめぐらして侘び住まいしたところと語り継がれてきている 上中 境内にある須磨の関跡の石碑 関守稲荷神社のもとの同じ文言が彫られているが後日に作られたものか? 上右 芭蕉句碑  見渡せば ながむれば 見れば 須磨の月  と5・8・5の特異な句である   
須磨の関 有明の空に 鳴く千鳥 傾く月は なれも悲しき     千載和歌集 藤原俊成       
     左端  風月庵跡
貞享4年4月(1688)芭蕉はこの境内の風月庵に宿をとるも季節外れのため噂さの秋の名月に出くわすことができずしきりに悔んだとのことである

左 正岡子規の句碑
  
読みさして 月が出るなり 須磨の巻
895年日清戦争取材の帰りの船中で吐血した子規は県立神戸病院運び込まれ2か月の治療の後風光明媚な須磨保養院へ移り療養生活を送り須磨のを題材にした句を残している

人恋ふる 我が眺めよと 
  思ひけり 須磨の関屋の
          有明の月
 

             六百番歌合せ