信  濃 

みすず刈る 信濃の真弓 吾が引かば うま人さびて 否と言はむかも     万葉集巻2-96  久米禅師
大意  みすずを刈る信濃の国の真弓を引くように私が貴女を誘い引いたなら貴女は淑女らしく嫌と言うだろうか?

みすず刈る 信濃の真弓 引かずして 弦引くわざを 知ると言はなくに     万葉集巻2-97  石川朗女
大意  みすず刈る信濃の国の真弓を真剣に引いてもいないのに弓を引く技術を知っている人とは言えないでしょう

  信濃野や 木賊(とくさ)における 白露は 磨ける玉と 見えにけるかな    新続古今和歌集 三条院女蔵人左近

 信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声きけば 時過ぎにけり             万葉集巻14-3352

信州の銘菓(株)飯島商店 みすず飴本舗のチラシには『信濃国は万葉の昔より枕詞にも みすず刈る信濃の国 と詠われる山紫水明の地である』とある みすずはスズタケ(篠竹)の事 笹の一種でブナの林下に蘇生する 高さは1~3m 鞘は往々紫色を帯びて平滑 7月頃まれに茎頂に被針状の小穂を生ずる 開花後実を付けて枯れる スズ スズタケとも言われる 我々の呼ぶシノダケのことか  司馬遼太郎は 『信濃には科のつく地名がじつに多い 埴科・更科・蓼科・立科・穗科・倉科・荷科・豊科・仁科・妻科・保科といった具合だ 信濃と言う国も『日本書紀』斉明紀6年の記述に『科野国』と文字を当てている とはなにを意味するのか定説はないらしい 本居宣長は古事記伝においてこの科は信州に多く自生している樹木であるとした』(街道をゆく 信州佐久平のみち)  又江戸時代の国学者谷川士清は日本書紀通證『科の木この国に生ず』と記し賀茂真淵『名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり』と記し段差を意味する級に由来するとしている(ウイキペディア)  諸説多数ある

  
上左 国指定史跡 一茶旧宅 上水内郡信濃町柏原49 文政10年(1827)閏6月の柏原宿の大火で焼け出され焼け残った土蔵で同年11月19日一茶は65才の生涯を閉じた 終焉の土蔵が国史跡に指定され史跡内には弟屋敷が復元されている 江戸時代後期に活躍した俳人小林一茶(1762-1827)は15歳で江戸に奉公に出ましたが50歳の文化9年(1812)に故郷の柏原に帰りました  翌年 父の遺産半分を受けとり弟と住居を二分して暮らした 上右 俳諧寺一茶位牌堂  土蔵の後ろにある  これがまあ 終の棲家か 雪5尺 この近辺には外に一茶の史跡が残っており後日訪問したい