足柄山(足柄古道)

金時山の北側に位置する足柄峠は箱根峠よりも古からの交通の要衝でした この峠を越える足柄道は奈良平安時代の古代からの官道であった  古事記や万葉集には足柄という地名や歌が多数残されている 古事記で有名な記述に日本武尊が東征の際に走水で入水した亡き妻弟橘比売命を偲び『吾妻ハヤ』とため息をついたという記述がある これが吾妻・東の語源になった 又万葉集には防人として筑紫国へ徴用された蝦夷と呼ばれた陸奥の人々が足柄峠から故郷や恋人を偲んだ望郷の歌が多数載っています 正に関東の入り口として又大和と蝦夷を隔てる境界として重要な役割を果たしていた 然し延暦19~21年(900~902)の富士山の大噴火では通行不能となり迂回路として箱根道が整備され1年ほど利用された 江戸時代にになると箱根峠を越える東海道が整備されると足柄道は矢倉往還と呼ばれ東海道の脇往還となった (参考 箱根ジオパーク)

吾妻者耶(吾妻はや)  古事記・日本書紀   倭建命

足柄の 御坂かしこみ 曇り夜の 我が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかも           万葉集 巻14-3371
 足柄の 箱根飛び越え 行く鶴の 羨しき見れば 大和し思ほゆ                     万葉集 巻14-1175

 我が背子を 大和へ遣りて 待つしだす 足柄山の 杉の木の間か                      万葉集 巻14-3363

 あしがりの 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む                   万葉集巻 14-3370

足柄の 御坂に立して 袖ふらば 家する妹は 清に見もかも                         万葉集 巻20-4423
足柄の 崖の小菅の 菅枕の 何故が巻かさむ 児ろせ手枕                               万葉集 巻14-3369
足柄の 我を可鶏山の かづの木の 我をかづさねも かづさかづとも                       万葉集 巻14-3432
かよひなれて あづまもちかし 足柄の 関路はるかに 思ひしかども                      拾玉集 慈円
あしがりの 土肥の河内に 出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに                 万葉集巻14-3368
あしがりの 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝るむ                      万葉集巻14-370
足柄の 八重山越えて いましなば 誰をか君と 見つつ偲ばむ                            万葉集巻14-4440
東路の 関守る神の 手向けとて 杉に矢たつる 足柄の山                      金塊和歌集  源実朝
秋までは 不二の高嶺に みし雪を 分けてぞ越ゆる 足柄の関                続古今和歌集  藤原光俊
雪解くる 茂みみに拉く かざさきの 路行きにくき 足柄の山                              山家集 西行法師
 

左 矢倉沢の関跡 南足柄郡矢倉沢1535 天正18年(1590年)には江戸に入国した徳川家康が西方の防衛として東海道足柄越の矢倉沢に関所を設置した。その後整備された東海道の箱根関所の脇関所として利用された 今は畑になっていて関跡はなくあるのは上の説明板のみ  中・右 関所前を通る足柄古道  

左 足柄古道地蔵堂  標高759mの足柄峠からは縄文時代や奈良・平安時代の土器片が採取され古くから東国と西国を結ぶ交通の要衝として利用されていた事がわかる 地蔵堂に四万長者がおりその名前を足柄兵太夫と言った この長者に八重桐という一人の娘がいた 八重桐は縁あって酒田氏に嫁いだが酒田一族の争いから逃れるため地蔵堂の屋敷へもどり金太郎を産みました との事  中・右 金太郎の故郷   南足柄市矢倉沢2431 ご存知足柄山は金太郎の生まれ故郷 この山々を熊や動物と駆け巡りたくましく成長した この峠で出会った源頼光はたくましい青年を見染て家来に取り立てた 金太郎は名を坂田金時と改め渡辺綱・碓井貞光・卜部季武と共に源頼光の四天王と称され大江山の酒呑童子退治などその名を高めた 頼光は総てのの源氏姓の始まり源満仲(多田源氏の租)の嫡男

 金太郎の遊び石 熊の代わりに 飛び乗って遊んだという岩 南足柄市矢倉沢2324  中 岩の隣の遊び石の説明板   足柄万葉公園案内板 南足柄市矢倉沢 
左 足柄峠の碑 公園内にある    中・右 万葉歌碑と説明板  園内には10ヶ所程に歌碑があるようですが時間の関係で3ヶ所のみ載せました 
 左・中 万葉歌碑と説明板                     右 万葉歌碑  
 
 左 上段右の歌碑の説明板                中・右 足柄峠の木柱と足柄峠の説明板
 
左 倭建命(日本武尊)のアズマハヤの説明板 古事記(和銅5年・712)に記載されてる内容で父景行天皇の皇子小碓命は父には嫌われていたようで九州熊襲建命を征服し大和に帰ると直ちに 東征(東北の異民族蝦夷征伐)を命じられて海路上総国へと渡るが海が荒れて止まないので妻弟橘比売命が神の怒りを鎮める海中に身を投じた事が記されている  中・右 足柄の関 この峠付近からは4000年まえの縄文時代の土器が発掘されていて古代以前からの歩道があり東海道最大の難所として有名であったが設置された場所・規模や時期などは定かではない とまるべき 関屋はうちも あらはにて 嵐はげしき 足柄の山 明日香井和歌集 飛鳥井雅経
  県道78号の足柄古道 この先が足柄峠足柄城跡があり右側のお社が足柄聖天堂で日本3体聖天尊の一つ  中 足柄聖天堂  右 聖天堂前にある熊にまたがる金太郎象
 左・中 新羅三郎義光吹笙之石  駿東郡南足柄市矢倉沢矢倉沢 笙の名手だった八幡太郎義家の弟新羅三郎義光が後三年の役に出陣の際に愈々蝦夷地に入るに当り義光の笙の師匠である豊原時元の一子時秋が従ってきたが「我は武のため、貴殿はこの笙の道のため」と諭して帰し相伝の秘曲をここで伝えたとする場所だ 毎年9月の第2日曜日に足柄峠笛まつりが開催されています 右 足柄城跡入り口 
左・中 足柄山城祉の碑 富士山が絶景       毎年9月第二日曜日に足柄峠笛祭が行われ時に神奈川県・静岡県で領地争奪綱引き合戦が行われる
 
 左 富士山 足柄峠金太郎ふじみライン(静岡県道365号)の絶景富士山でした 右 芭蕉句碑  文字は殆ど解読不能  目にかかる 時にことさら 五月富士 道路脇ながら藪の中
 
左 足柄峠 相模と駿河の国境である足柄峠 静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の間にある峠 箱根外輪山から北に伸びた尾根上に位置し箱根峠とともに東海道を構成する 標高 759mで古代の東海道 足柄路(矢倉沢往還)でここの坂から東が古代の坂東となる  江戸時代には三嶋大社から箱根権現(現・箱根神社)を結ぶ東海道・箱根越えが整備され足柄峠越えは脇往還になった  中・右 公時神社(金時神社) 足柄下郡箱根町仙石原 源頼光の四天王の一人坂田金時を祭神とする 童謡で有名な金太郎のマサカリの祠 (ネットより拝借した)