蝦夷(えみし)・陸奥(みちのく)・歌枕(うたまくら)

蝦夷とは中々難しい文字です。広辞苑(岩波書店)によるとは音読みでは『カ』、訓読みだと『えび』とある。は大言海(富山方)によると音読みで『イ』、訓読みだと『えびす』とあった。この『えび』と『えびす』が合わさってどうして『えみし』となりときには『えぞ』とか『アイヌ』などとモ呼ばれる不思議な文字だ。そして夷は都からみて東国の武士(もののふ)で荒々しい『男えびす又は荒えびす』と言うとあり転じて賤しくて雛びた田舎人である。 そして更に古代奥州から北海道に居住していた人々の総称である ともあった。
開ケタル己ガ国ヨリ見テ四辺開ケヌ外国ノ民 東夷・北狄・西戎・南蛮。
陸奥はご存知のように東北の総称であり本来都(みやこ)から陸奥胆沢・紫波までの東山道の『道の奥・道奥』からきている。
歌枕というこの魅力的単語の定義は難しいようだ。これも大言海によると『@詠歌の枕言の意か A歌に詠み入るべき料の詞 B専ら詠歌の材とする名所・古跡』とあり、日本語大辞典(講談社)によると『もとは枕詞や名所など和歌を作るときに必要な事柄を示した書物、後には歌に詠まれて有名になった諸国の地名の名所を云う』とある。 又広辞苑によれば『@歌を詠む時の典拠とすべき枕詞・名所など 又それらを書き集め解説した書 A歌に詠み込まれた諸国の名所』とあり 国語大辞典(角川書店)によれば『古歌に読み込まれた名所又それを書き集めた書物A歌に詠み込む枕詞』とありました。要約すれ『歌に詠まれた諸国の名所』とでも云うのでしょうか。「諸国の名所だから歌に詠まれた」のではなく、「歌に詠まれたから名所になった」というほうが正確な様です。そんな諸国の名所は日本全国に2千数百ヶ所もあると言うのです。その一番多いのは山城(京都府) 次が大和(奈良県)そして3番目が陸奥・出羽(東北)なのです。陸奥の有名な歌枕は凡そ70箇所、無名の歌枕をあわせれば凡そ140〜150箇所はあるだろうと云われている。 塩釜商工会議所青年部まちずくり委員会会長の横田喜光氏によると著名な歌枕の地『塩釜』だけで詠まれた歌は500首ぐらい有ると云うのです。『信夫』と名のつく歌も200首位 『白河の関』が80首余りあるので陸奥の歌枕の歌数は有名無名併せて千数百首に上るのではないだろうか。そしてそれを詠んだ人の数も想像だが千人は下らないのではないでしょうか。然し実際に陸奥に足を運んで詠んだ人は実方・能因・西行等10人に満たないらしいのです。陸奥守ですら実際に陸奥に赴任しない『遥任』と云う人が大部分だったのです。つまり多くの人は口コミや風説から想像力だけで陸奥を詠んでる事になるのです。都から1000km以上もかけ離れ容易には踏み込めない遥か彼方の異国、化外の地のエキゾチックな風景を実際に見る事が出来ないからこそ個人の想像力が益々高まり拡大解釈されていって多くの歌となったのではないでしょうか。古代の人の憧れの地に住んでいる私としてはそんなわけで おっとり刀 で東北放浪の旅に出たわけです。何分元より浅学非才の趣味の世界であり、古代陸奥への夢とロマンと勝手な想像の世界への逍遥で、史実、事実と異なる記載も多い事を御諒承下さい。その時は是非御一報頂けることを事を楽しみにしております。

   このホームページの立ち上げには南相馬市鹿島区在住の谷地幹雄氏にご尽力を頂きました。

                          平成18年1月29日  福島市 若槻武雄

 

 
清水寺史清水寺縁起絵巻(室町時代・音羽山清水寺)にある坂上田村麻呂の延暦大戦争時代の東北の蝦夷の絵である。まるで鬼か野獣か化物のように描かれている。これこそ為政者による無知なる国民に対しての陸奥に対するイメージ操作だったのでしょう。今次の敗戦において軍部がアメリカ・イギリスを鬼畜米英とPRして国民のイメージを操作したのにそっくりである。いや軍部が清水寺縁起絵巻を真似したのかも知れない。