稀にだに とふの浦風 音づれば 野田の松がね かたしきやせむ   弘安百首 長明
みちのくの 野田の菅にも かたしきて かりね淋しき とふの浦風    夫木和歌集 長明     
見し人も とふのうら風 おとせぬに つれなく澄める 秋の夜の月  新古今和歌集 橘 為仲
            
この十符という意味が中々判り難いのですが、岩切の十符の菅菰でも書いたように編み目が十も出来る程長く良質の菅 それが十符の菅で それが茂っている谷が十符の谷 その池が十符の池 一面生い茂っている浦や入り江が十符の浦なのでしょうか。この浦の比定地は仙台近郊文学遺跡見学の栞佐左木忠慧)の 十符・田子 の項に仙台市と多賀城の利府がそれであるとある。確かに当時東部七ヶ浜町湊町から多賀城押切川南部 仙台市宮城野区福室 中野 蒲生あたり、つまり国道45以南は完全に海でそれ以北も当然湿地帯であったろう。田子(多湖)の地名もその名残であろうと言われている。又野田の菅は十符の菅に同じと大日本地名辞書(吉田東伍)にあるのを見ると野田の入り江と十符の浦とは同じか又は七ヶ浜町湊浜から宮城野区田子辺り一帯を指していたのかもしれない。利府町のHPには『十符の里 利府』とあり十符の菅に由来するとある。確かに利は利根川の『と』であり十(と)符が利(と)府となり利(り)府となってもおかしくはないのだが少し北に偏っているきらいがある。今多賀城押切川たもとののマンションの屋上から南西部宮城野区方部を見渡してもご覧のように歌の風情を味わうにはもう遅すぎるのです。
(平成15年7月21日)
 十符の浦 
 
     水鳥の つららの枕 ひまもなし むべさへけらし とふのすが風  金葉和歌集 源 経信