陸奥の 小川の橋の あゆみ坂 君しそむかば われもそむかん   夫木和歌集 読み人知らず
                                             

この橋地味ではあるが清少納言の枕草子に『橋は』の項に19の橋の名が挙げられていてその中に堂々『をがわの橋』と載ってるのです(但し陸奥とも筑紫ともあり定かならず)古川市史の古代中世の文学の項には実に細かく市内の歌枕が記載されてをり非常に参考になったのです。小川の橋や花島山 抑えの池・関など比較的地味な歌枕は、詠んだ事はあっても具体的な場所が何処なのか分からなかったのが実に見事古川市史に載っていたのです。それによると小川の橋は歌枕の歌学書には結構載っているのです。そこは何処かと云うと、古川女子高の西の小道を国道4号バイパスを横切り真っ直ぐ50mも行くと葦が茂り雑然とした未整備地区に突き当たる。そこに川が流れている。細いけど大江川という。まさかそこに歌枕があるとは知らず、又あったとしてもとてもそうとは思えない市街化区域と調整区域の境目である。日も暮れかけたのでホテルへ帰りよくよく市史と道路地図を読むと、今日突き当たった所からごく細い川が分流し『小川江』と記されているではないか。そして2km位で又大江川に合流しているのです。翌朝早速おっとり刀で出かけて見ると分流がありました。早朝でしたがその分流の境に家のある大工さんに聞くと、分流している川を『小江川(しょうえかわ)』 と呼んでいるのにはびっくりだ。この2kmあまりの小川でそれに懸かっていた橋が歌枕の地『小川の橋』である確信をもった。ここを古代出羽尾花沢に抜ける羽前街道(現中羽前街道・銀山街道・銀山越え)が通っていたと言うのだ。この辺りは古墳が多く今も1km程先には青塚古墳の森が小川の橋からも見えるのです。遥かに名峰駒ヶ岳も眺める事が出来る郊外にある。若しこの道があの鎮守将軍大野東人が出羽の柵への直通路開拓の為737年多賀城から加美郡を経て奥羽山脈を越え出羽国最上郡玉野(尾花沢)へ出た道ならなんと凄い夢街道ではないでしょうか。将軍大野東人以下6000人の軍隊が通過したかも知れない橋なのだ。大工さんも”私の家がその通り道だったのですかね”と感慨深げでしたそれにしてもここに歌枕の言われ・由来の案内板一つ無いのは何とも残念だ尚青塚古墳は凡そ90mに及ぶ東北有数の北限の前方後円墳だったようだが既に前方部分は現在住宅地や田んぼに削られていて後円部分には熊野神社が鎮座していた(説明板)
(参考 古川市史・新古代東北史 歴史春秋社・枕草子集註 思文館出版 平成15年11月28日)

市指定遺跡青塚古墳
 小川の橋