くりはら田園鉄道細倉マインパーク前駅 花山村から栗駒根神社へ下る途中にある鶯沢町にあった細倉鉱山跡があった 今から凡そ1200年前の大同又は貞観年間発見と伝えるが根拠はない 安永7年(1778)鶯沢村から仙台藩に提出された鶯沢風土記書の中に16世紀後半の天正年間に細倉鉱山の採掘が始ったとある 明治に入り三菱鉱業が経営権を持ち日本を代表する鉛・亜鉛の鉱山と成長するが昭和62年3月に採掘は修了した くりはら田園鉄道は2007年に廃止された 
 奥州総鎮守 延喜式内社勅宣日宮(ひるのみや)駒形根神社
駒形山の麓にある歴史ある神社 古来東奥鎮護の一の宮 栗駒山山頂に奥の宮 東奥186邑の総鎮守 桓武天皇延暦年間田村麻呂東征大勝を得て駒形根大明神の大額奉献 清和天皇貞観元年(849)勅使恵美朝臣下向 正一位勅宣を賜る 寛保3年(1743)桜町天皇よりの御宣命拝受 以後御宣命奉持の行列を模して神輿渡御の巡行神事を行う(県指定無形民俗文化財) 藤原秀衛 桜町天皇の扁額 多数の古文書などがる(説明板)
 山頂に奥宮がり5月には奥宮参りがある 栞によると「日本武尊東征の折大日め尊外5柱の主神に祈願創建 奥羽鎮護の一宮として駒形嶽に奥宮 沼倉に里宮を祀る」とある 
 
 平成19年細倉鉱山近代化産業遺産群33 東北鉱山の一つとして認定されている 現在は三菱細倉金属工業がリサイクルによる各種金属の回収を行ってるようだ
 

 栗駒山 其の2

地図を広げていただくと分かるのだが栗駒山(1627・7m)は奥州陸奥・出羽 東北の中心にあたる山である事を知る人は意外と少ない。陸奥には蔵王 鳥海山 磐梯山 八甲田山等名峰は数多いが東西南北の中心にあるのはここ栗駒山である。よって岩手・秋田・宮城の三県境にある。大日本地名辞書(吉田東伍)に「栗駒岳 駒岳ともいい古名が駒形嶺、陸前(宮城県)北 重鎮にして形勢最雄大なり、一迫・二迫・3迫川之に発す。首峰を大日岳といひ神廟あり」とある。東北の要の山として、そしてここ栗原郡は北的陸奥 南的陸奥の分嶺地として大和朝廷は陸奥・出羽拡大に際し霊峰としたのかも知れない。当初は駒ケ岳の名称であったが、この名称は全国各地にあることから何時の頃からか「栗原郡の駒ケ岳」と呼ばれていた事から栗駒山となったようだ。但し岩手県側では須川岳と呼んでいる。山頂からはきっと広大な栗原郡が一望できるに違いないのだろう。この山の麓は蝦夷と大和朝廷とのせめぎ合いの史跡・遺跡・逸話・石碑などが実に多くありマニアの垂涎の地である事間違いない。代表的なのが鳥矢ヶ崎古墳・屯(営)ヶ岡・駒形根神社・栗原寺・伊治城・阿久利川等枚挙に暇がありません。大和朝廷はこの広大な蝦夷の地を征服するのに日本武尊以来凡そ700年もかかったのです。その間のさまざまな戦いの数々 さまざまな人々の往来の数々を見続けたのが栗駒山である。
(参考 栗駒町史 栗駒町) 平成16年5月10日