武隈や 鼻端に立てる 松だにも 我がこと独り ありとかやきく         重之集 源 重之 
                                          
年を経て 誰を待つとか 武隈の 鼻端にのみは いでたてるらん        重之集 源 重之
                                         
 
 鼻輪 鼻端 花輪とも書くという。岩沼市にあったこの松は昔は詩人墨客の詠客をほしいままにしていたそうである。武隈の里にある七崎の一つの鼻端崎(今は栄町となっている)にあり 町から西部の法常寺に行く途中の小さな丘の麓にあったもので 二木の松に勝るとも劣らない松だったようです法常寺の御住職さんの話では岩沼にある製紙メーカーが丘陵を平坦にして分譲してしまったとの事で今は松は無いとの事であった。鼻端の松のたもとにあった鼻端の井戸なるものがある事をお聞きしたので行って見ると なんと高橋さんと言う家の中なのである。お邪魔してお聞きした所 奥さんの話では30年前にここに越してきたそうであるがそのころは近所の方がこの井戸に水汲みに来ていて日常的に利用していたそうです。今は高橋さんが庭の花や野菜の水まきとか洗車に利用しているとの事である。松の所在については見た記憶はないとの事であった。8代目まで準備されている武隈の松に比してどうして鼻端の松は惨めな運命を辿ったのだろうか?岩沼には一時国府があったと言われるが、源 重之がその武隈の舘(後の岩沼城 鵜が崎城)を建立したと伝えられている。ここは都から陸奥に下向して来る著名な役人の旅館として利用された所でもあると言う。
(平成14年10月10日)(参考 大日本地名辞書 吉田東伍 岩沼市史)
下左  法常寺とご住職         下右  高橋家内鼻端の井戸 このたもとに松があったのだろうか
 
この道が法常寺に行く道 高橋家のこのブロックの陰に井戸がある かってこの辺りに鼻端の松があったという
     鼻端の松