左端 遠山覚範寺 
政宗の父輝宗の菩提寺 天正14年政宗が米沢遠山村に創建しした 政宗の師虎哉和尚が開山一世

 無為山東昌寺
弘安6年伊達政依が自らの菩提寺として福島県桑折町に創建
 室町時代に幕府が全国に設置した安国寺に東昌寺が選ばれたので以後五山の筆頭格となる


下中 支倉常長と宣教師ソテロの墓(光明寺)
左 滋雲山資福寺
弘安年間米沢高畠夏刈の地に時の領主長井時秀が建立した関東十刹の一つとして学問の中心をないした 伊達氏の米沢移転に伴い元亀3年政宗の父輝宗は美濃から虎哉和尚を招き資福寺の中興開祖とした 高畠資福治跡には今も9代儀山政宗夫妻と輝宗の墓が残されている 尚この寺は紫陽花で有名だ





芭蕉の辻 
其の4


 

 奥右小さいのが政宗の母保春院の墓,左大きいのがが宗清の供養塔(覚範寺)
政宗は寛永13年(1636)没なので存命中に祖母と孫を並べ 政宗の実母保春院は元和9年(1623)仙台城で没し夫輝宗の菩提寺であるここ覚範寺に葬られました 政宗公の側室の三男宗清は黒川郡の領主 寛永11年(1634)享年35歳死去 墓所は黒川郡大和町吉岡の天皇寺にあります。自分を毒殺しようとした母を 此処仙台に呼び寄せたのは政宗公の配慮でしょうか
 鹿島・香取神社 北山丘陵の東端光明寺の隣にある神社 香取・鹿島神社である 政宗が仙台に来る時岩出山から光明寺と一緒に連れてきた