天香山 弥彦神社の神の天香児山命 伊夜比古の神が降臨・鎮座された所 天香児山命は現在の弥彦大明神で当初は初代・二代迄社がこの地であったが三代目から弥彦の地に鎮座された  下左 貞亨のころ(1685〜)国上寺の客僧であった萬元上人が本堂の再建や梵鐘の鋳造など30年に亘り尽力した僧萬元の墓碑(五合庵の裏) その脇にある碑は五合庵の隣にあるが文字が読めない(下右) もしかすると 
さよふけて いわまのたきつ をとせぬに  たかねのみゆき ふりつもるらし 
と彫られてるのかも?

五合庵 寛政8年(1796)から山麓の乙子神社草庵に移るまでの20年間良寛が住んでいた所 その脇にあるのが有名な句碑である(左)
         焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな

左下 子供達と遊ぶ良寛像(国上山駐車場) 子供らと 手まりつきつつ 此の里に 遊ぶ春日は くれずともよし 自らを大愚と名乗り生涯寺を持たず托鉢により生活を送り自然を愛し世俗のものに執着する事もなく子供達と戯れる天真爛漫の心の持ち主だった 良寛の故郷です
下右 国上山から眺めた分水の町大河津分水路(信濃川の明治29年の大洪水により述べ000万人かけて洪水防止のための用水路 約10km)
        国上山 其のV