上杉謙信像 常安寺裏手の高台にある秋葉公園 謙信像は数多くあるが栃尾市の坐像は知名度が高い 15歳の謙信が近隣の豪族を打ち破り初陣を飾った地 左 栃尾城跡説明板 城跡はこの説明板の上方にあるが雑草が生繁り時間もないので登らず 戦国時代の典型的山城である 天文12年(1543)長尾景虎は14歳の時に中郡の郡司として栃尾城に入城し本庄実乃の補佐を受け義の信念で近隣を制した 19歳の時国守として春日山城に入る 右 秋葉三尺坊大権現(秋葉神社) 遠州秋葉神社と共に秋葉信仰の2大霊地である  その名を唱えれば失火と延焼の一切を免れるとか 天文2年1551年謙信が岩野蔵王堂からこの地に遷座した 下左 常安寺の杖梅  永禄(1558〜70)のころ寺を開いた門察和尚のところへ、ある日老翁が入門を乞うてきたので和尚はそのしるしの書付け(血脈)を授けた 老翁は大喜びで境内を浮かれ廻り 庭の築山のもとに杖を突きさすと そこから清水が湧き出した さらに塀のわきに杖を挿して歌を詠んだ(説明板)   ○植ゑ置きし 梅の主を 人問はば 自ら在ます 神とこたへよ
老翁はそのまま去った 自在神とは菅原天神のことである 翌朝杖は青葉をつけた梅の木となった 
下右 芭蕉句碑 此の辺り 目に見ゆる物は みな涼し (常安寺裏の秋葉公園)
  
 

出雲崎 Y





左 貞心尼歌碑 長岡市信濃川堤防 川は信濃川 奥の山が

国上山
夕されば 
もゆるおもひにたえかねて 
みぎはの草に ほたるとぶらむ

左端 謙信ゆかりの常安寺 開山門察和尚 長岡市栃尾(谷内)天文16年(1547)長尾景虎創建による 報恩林清滝山とやたら長い山号だ  父長尾為景の命により中越鎮撫のため栃尾城へ入城した 謙信公は当時栃尾にあった名刹「瑞麟寺」において修行を積み正義を重んずる清廉な人格を形成されました 天文16年(1547)8月すでに越後国主となっていた謙信公は自らが開基となって常安寺を創建し寄進されました(説明板)
右端上 閻魔堂跡地の貞心尼歌碑 長岡市
 朝げたく ほどは夜のまに ふきよする 
      おち葉や風の 情けなるらむ

貞心尼は長尾藩士奥村五兵衛の娘として生まれ一度嫁いだが夫の死別で剃髪し此の地閻魔堂の庵主となる 木村家に晩年の良寛を訪ね歌道の弟子となる 良寛没後歌集「蓮の露」を表し良寛の名を広めた 加賀の千代女 京都の蓮月尼と共に幕末の女流三大歌人と云われる