熊野皇大神宮・熊野神社は碓氷峠頂上標高1200mに位置している 神社の中央が長野県と群馬県に分かれた神社で全国的に珍しい。なので一つの神社でありながら二つの宗教法人が顕在し熊野皇大神宮(長野の名称)と熊野神社(群馬の名称)に分かれている そのため二人の宮司・責任役員・総代が維持されている ここでは同じところにありながら御祈祷は勿論お守り・御朱印・社務所も厳然と別々なのです  中央が熊野本宮社 長野県側にあるのが熊野那智宮 群馬県側にあるのが熊野速玉社だ  
 下左端 中央本宮は上信両国に鎮座    
新宮は上州分に鎮座   
那智宮は信州分に鎮座

と書いてある
 
誠に興味深い神社なのです
碓氷の坂V


 峠には伊達政宗の歌の句碑が建っていた 慶長19年と云えば大阪冬の陣で家康より大阪討伐の先手を命じられ10月20日に江戸を発っているのです 4月末に峠を登ってきて
      夏木立 花は薄井(碓氷)の 峠かな
と詠んだとある 時間的ずれを感じるが何方かご存知方はその辺の経緯をお知らせ願いたい
上 神社入口にある石の風車 軽井沢の問屋佐藤市右衛門と代官佐藤平八郎が明暦3年(1653)二世安楽の為正面石畳を敷いた際その記念に佐藤家の家紋源氏車を一対奉納したもの 
碓氷峠のあの風車 
   たれを待つやらくるくると
と 追分節で有名になった 秋から冬にかけた風が強ところから峠で中山道往来の旅人が石の風車として親しんだ(説明板)
上右 熊野神社の古鐘 碓氷峠は関東文化圏の西の果てにあり西方浄土として民間信仰を集め神社は熊野権現と呼ばれた 碓氷峠の権現様は主の為には守り神 と追分節に歌われ権現信仰が全国に伝播した この釣鐘は鎌倉時代に松井田の武士団により二世安楽を願って奉納されたもので群馬県最古の釣鐘
     
 
左 宗良親王御歌 別名信濃の宮
君賀多米 世乃為何加 惜加良牟 捨天甲斐安留 命奈里勢婆  新葉和歌集
 後醍醐天皇の皇子 南北朝時代の北朝方との劣勢により越後・越中等転戦し信州伊奈郡の豪族香坂氏に身を置き北朝と対峙した 上野・武蔵国にも出兵してるのでこの峠も越えたことだろう