徒渉(ただわたり)万葉歌碑
利根川の 川瀬も知らず 徒渉 
 波に逢ふのす 逢へる君かも  巻14-3413
利根川の浅瀬が何処かも分らずにやみくもに渡ったら突然に波を受けたようにばったり貴方に出会ったわ
みなかみ町役場の下を流れる利根川の河川敷にあるが御覧の様に竹藪と背丈ほどの雑草の中にあり発見に難儀した
みなかみ町には他に三国山の万葉歌碑がある
三国山 梢に住まふ むささびの 
 鳥待つごとく 吾待ち痩せむ 
 巻7-1367

上右 利根川 みなかみ町
                       

上右端 塩原太助生誕の地(みなかみ町羽場字下新田)
塩原太助は(1743〜1816)はここの農家生まれたが幼くして両親を失い19歳の時継母の仕打ちに耐えかねて江戸へ出て炭商山口屋善右衛門に奉公した 22年間奉公人の鑑と称される程勤勉に働き後に莫大な財を築き公儀のお金御用を勤める傍ら公益事業に巨費を投じた人物である 幼いころから飼いならした『あお』 を松につないで愛馬の別れ人情噺『塩原太助一代記』の涙を誘う名場面である 一心太助と勘違いする人が多いと地元の人は話していた 隣には報徳太助神社がありました  本所には過ぎたるものが二つある 津軽大名に炭屋塩原
左中 八幡太郎義家像 月夜野矢瀬公園内にあるが何かと伝説が多い人物だがまさかみなかみ町に立ってるとは 説明板によると奥州征伐の折り残党が利根川の先の尾瀬に逃げ帰った 義家は渡河出来る利根川の浅瀬を探していたが中々見つから無いため最後の手段矢を利根川に向けて射たところ刺さった所が浅瀬だったという そこから矢瀬の名が出た 八幡太郎の人気が伺えます この公園内に徒渉橋があるのだが見つけられなかったのは残念



 利根川 U