最大山双林寺  子持山山麓にあり文安4年(1447)白井城主長尾景仲が剃髪して入道となりその3年後宝徳2年に開基した 立派な山門である(説明板)
左下 忠度桜
双林寺七不思議のひとつ忠度桜 開山の夢枕に忠度の辞世の歌『行き暮れて』と詠んだが下の句を依頼されて『花に心はなかりけり』として成仏させお礼のムチが桜になったという(説明板) この意味がちょっと理解できないが 忠度の有名な辞世の歌は 行き暮れて 木の下影を 宿とせば 花ぞ今宵の 主ならまし 薩摩守平忠度は平氏一門の武将で平清盛の異母弟である 一の谷の合戦により戦死 明治39年の唱歌の青葉の笛には平敦盛と共に歌われた
青葉の笛の歌詞
♪一の谷の 軍さ破れ 討たれし平家の 公達哀れ 暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛

更ける夜半に 門を敲き 我が師に託せし言の葉哀れ 今わの際まで 持ちし箙に 残れるは『花や 今宵』の歌♪

白井宿
は子持ち山の麓旧子持村(現渋川市)にあり和妙抄(承平7年937)には白衣郷とある 郡庁の所在地・伊勢神宮の御厨地でもあり古代より栄えた地であった(パンフレット) 

右  堯恵歌碑(渋川市・旧子持村白井宿)重陽の碑に上州白井といふ所に移りぬ  即ち藤戸部定畠、旅思ひ裏燐をほどこさる  十三夜には一続くはべりしに   堯恵 寄月神祇
越えるべき 千とせの坂の ひかりなる
道まもる神も  月やめつらむ


下右  万葉歌碑(白井宿)巻14-3413
利根川の 川瀬も知らず 徒渉り  
  波に逢ふのす 逢へる君かも

左 赤見山の歌碑万葉集巻14-3479
子持山の帰り群馬県吾妻郡高山村国道145号線の旧高山小学校の跡地に万葉集の歌碑があった 栃木県佐野市にも赤見山がある
赤見山 草根刈り除け 合はすがへ 
 争ふ妹し あやし愛
(かな)しも  
 赤見山の草を刈り除いて逢引したのにいざとなったら「いや」「ダメ」と云って抵抗する娘がとても可愛い(訳 万葉集全歌講義 (有)笠間書院)
然し高山村の役場の方や近所の方に赤見山の所在を聞いてみたが一様にその存在は不明であった 改めて高山村役場へメールで問い合わせ中だが未だ連絡待ちである 

        
 白井の道標(白井宿)
高さ170cm・幅38cm 南面に日光・江戸道 西面ゑちご・くさ津道 北面には奴満多道とあり利根川と吾妻川の合流点にある往時の白井宿の往来の賑わいが感じられる



子持山 U



 佐 渡奉行街道道標(吉岡町駒寄)
江戸時代佐渡奉行が往来した佐渡奉行街道と伊香保道の分かれ道にある 右ゑちご・しふ川道 左いかほ・みさわ道 寛政12年(1800)と彫られている