夜をかさね 深山立ち出る 不如帰 衣の里に 来つつ鳴くなり              夫木和歌抄 平 為盛
立ちへり 猶みてゆかん さくら花 衣の里に にほふ盛りは          夫木和歌集 左近中将具氏卿
白妙に さきかさなれる 卯の花は 衣の里の つまにぞ有りける          夫木和歌抄 藤原 忠隆
ほどちかく 衣の里は なりぬらん ふたむら山を こえてきつれば        夫木和歌抄 藤原 経衡
わぎもこが 衣の里の 梅の花 さぞくれなゐの 色にさくらん            夫木和歌抄 中務卿みこ
いまよりの かすみもさこそ 立ちぬらめ 衣の里に 春しきぬれば         夫木和歌抄 鷹司院按察
春過ぎて 夏のひとへに なりながら 衣の里は 名こそかわらめ          夫木和歌抄 意尊法師 

 源 義家:衣の館は ほころびにけり   安倍貞任:年を経し 糸の乱れの苦しさに
右 有名な義家・貞任の一騎打ちの名場面の地 手前の石が源 義家 奥の石が安倍貞任でその距離(凡そ15m)を表している。 一首坂に追い詰めた義家が『オーイ貞任!チョット待て! 衣の館は ほころびにけり』と叫び弓を構えると貞任が うるせーッ義家! 年を経し 糸の乱れの 苦しさに』 と返し覚悟をきめたのでしょう。 粗野で野蛮と思っていた蝦夷が、突然歌を嗜むと言う教養の深さに驚き義家は弓を下ろし貞任を見逃したのである。本当に当時の二人の姿がよみがえる歴史の地です。 観光客の足は大部分が平泉金色堂に向うがその北方衣の里にあるこの地に向う人は皆無である。 語られぬ忘れられたこんな歴史の地こそ私は歩きたい。 
左 一首坂石標  鬼首温泉・人首川等の首(くび)とは違います 和歌を数える一首・二首の首(しゅ)です
 真にリアルなのがこれ 一首坂入口の前にある アスファルトに二人の馬の足跡の蹄鉄が埋められているのです 追いつ追われつの凝った演出が緊張感を感じますね 衣の里一の見どころなのです 

左 義家と貞任の歌碑 陸奥の古代の終焉を演じた文武両道の二人の武人・名将こそ衣川村の名誉村民賞ものなのだ 衣川村の村歌として永遠に歌い継がれる事でしょう 

   衣(河)の里