袂より 落ちる泪や 陸奥の 衣河とぞ いふべかりける             拾遺和歌集 読み人知らず
誰が袖に つつむ蛍の 衣川 思ひあまりて 玉ともゆらん              玉吟集 家隆
衣川 汀によりて 立浪は 岸の松が根 あらふなりけり
                山家集  西行
とりわきて 心も凍みて 冴えぞわたる 衣川見に きたる今日しも        山家集  西行
泪をば 衣川にぞ 流しつる ふるき都を 思ひいでつつ               山家心中集 西行
衣河 見慣れし人の わかるれは 袂までにぞ 浪はよせける          重之集 源 重之
浅からず 思ひそめてし 衣河 かかる瀬にこそ 袖もぬれけれ     続後拾遺和歌集 清原元輔
みなれにし 人をわかれし 衣河 へててこひむ ほどのはるけき
       能宣集 大中臣能宣
音にのみ ききわたりつる 衣河 袂にかかる 心なりけり
             元真集 藤原 元真
人知れず 音をのみなれば 衣河 袖のしがらみ せかぬ日ぞなき
    新勅撰和歌集 藤原忠通
遥かなる ほどとぞききし 衣河 かたしく袖の 名にこそ有けれ         隆信集 藤原 隆信
身に近き 名をぞ頼みし 陸奥の 衣の川と 見てや渡らん
           古今和歌六帖 紀貫之
衣河 遠きあたりに あらねども 誰に逢瀬を わきていふらむ
           定頼集 藤原 定頼
よとともに 袖のみ濡れて 衣河 こひこそわたれ 逢瀬なければ        忠通歌合せ 信濃公  




                    衣河      

衣川 汀によりて 立つなみは 
  きしの松がね あらふなりけり
  
         山家集 西行歌碑
 

とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる
      衣河みに きたるけふしも
 
       山家集 西行歌碑
 

紀古佐美の営跡の碑 その一つと言われている 衣河荘の前にある  西行の左の2つの歌碑も衣河荘のまえにある 延暦大戦争上アテルイによる最大の敗軍の将となる
 衣河の営跡の碑  延暦8年(789)紀古佐美玉造柵から進軍してここ衣河三ヶ所の営を築いたがこれ以上進軍出来ず長く衣河営に止まった 水沢・江刺を攻略できない言い訳ばかりを長々と天皇に奏上した これには桓武天皇も怒り心頭に達し「・・・もし軍を解散する必要があるなら詳しく状況を説明せよ それからでも遅くはない 所が少しも進攻せず俄に解散するとは将軍達にどんな道理があるのか?将軍たちが凶暴な賊を恐れ憚り止まってるだけだと云う事が良く分かった 言葉巧みに飾って罪過を免れようとするとはこれ以上の不忠はない ・・・・所が自らは営所に静にいて勝敗を見るだけで格下の指揮官を派遣して敗戦と言う結果を招いた・・・今軍に損害を与え食糧も費やし国家に多大な損害を与えた 将軍がこんな事で良いのか!・・・」と こんな調子で丸で現代の中間管理職へのノルマ達成と同じ記述には興味深い 続日本紀