刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母   
利根川の 川瀬も知らず ただ渡り 波に遭ふのす 逢へる君かも    万葉集14-3413 
川瀬も知らずただわたり』だからずっと上流の利根川かもそれない  群馬県みなかみ市の歌枕か?

関東三大不動尊の一つ 清安山不動院 つくばみらい市板橋
平安時代作の本尊不動明・両童子は国指定重要文化財 本堂・三重塔は県指定重要文化財で慶安元年(1548)創建
 左 守谷城祉
守谷市守谷甲
戦国時代に築かれたかれた守山城は平将門の叔父にあたる平良文の子孫相馬師常によって築城 師常は奥州相馬藩初代藩主でもある 城の一郭に妙見神社もあり相馬野馬追の行事もその神前で行われた 
 北方探検家・地理学者間宮林蔵  つくばみらい市上平柳
左 間宮林蔵生家 安政9年(1780)当地生まれ
右 間宮林蔵像 背景は記念館 早朝7:00の為閉館中
右端上下  間宮林蔵顕彰記念碑と墓碑 専称寺
顕彰碑には間宮先生埋骨之處とあり明治39年正五位贈位されたのち明治43年建立された 碑文中の『先生の功烈愈々顕れ 先生の墓石愈々小也』は殊に有名
墓碑は文化4年(1807)決死の決意で樺太に出発するにあたり林蔵自ら建立した生前の墓 偉大な仕事を成し遂げ前の身分の低い武将に合った百姓並みの墓石である 左が林蔵 右が両親の墓 墓の後方には利根川の支流小貝川が流れている


 利根川
 左 徳怡山長龍寺
守谷市百合丘
徳川家康寄進状
『寄進す 長龍寺 下総国相馬郡相馬の内十石の事 右之を奇附せしめ訖んぬ 事に寺中不入たるべき者なり 仍って件の如し 天正十九年 辛卯』 徳川家康が天正19年(1591)この寺に高10石の土地を寄進する事を記したもの 市内最古の文書 又天正18年81590)豊臣秀吉の家臣浅野長政と木村重慈による禁制文書が保存されてる