龍神峡
降り積みし 高嶺の深雪 融にけり 
      清滝川の 水の白波
 新古今和歌集 西行

 漂泊の歌人として名高い西行法師は全国各地の名所旧跡を彷徨した折、陸奥国菊多郡下遠野郷滝村の鮫川渓谷を訪れたとの伝承がある 然し地元の方にもあまり知られてはいないようで、役場の職員に尋ねても中々要領を得ないのです。それでも親切に電話であちこち聞いてくれた。そして平成9年11月13日付けのいわき民報の一部をコピーしてくれた。『鮫川 龍神峡の西行伝説』の見出しである。
 竜神峡はいわき市遠野町大滝地内にある。県中部石川町からいわき湯本に通じる県道14号を下ると、古殿町辺りから鮫川が平行して流れ、水にぬれると緑色に変化する名物鮫川石が所々に積まれている。別名この道を御斎所街道と云う。坂上田村麻呂が戦勝祝に紀州の熊野権現を分詞した地が御斎所山
(斎とは祝うという意味だ)である(大澤石材店社長談)。そこの峠が難所御斎所峠である。そこに熊野権現の遥拝所の鳥居がある。今トンネルが出来この歴史ある難所も記憶の外に忘れられようとしている。そこのドライブインの女将さんの話では「明治以降これで4回道が変わった。その度に客は少なくなった」 と不満げである。今は殆ど寄る人はいない様子です(現在は東日本大震災の山崩れの為通行禁止)。更に下り根岸から勿来に向う県道20号線に入り、少し行くと滝という所で右に折れ車一台がやっと通れる道を左手に健瀧寺を見て400m位いくと突然鮫川に遭遇する。そこが龍神峡である。細い橋の上から見る急流と、歌にある白波が竜の背中を連想させる光景で素晴らしい眺めだ。
 でも西行がここまで来るか?と思うほど分かりにくい。案内板も見当たらないのです。西行を師と仰ぐ芭蕉も歩いたが、彼は今でいう国道がメインであるが西行は国道の他市町村道(道なき道)、しかも青森(外の浜の歌がある)から九州までその3倍位を万遍なく歩いていると言うのです。たまたま陸奥には親戚が飯坂と平泉にいたので2度も来ているのだ。2度目は69歳のときである。まるで何かに執り付かれたみたいに。そんな彼が何処の誰に聞いてここに来たのか不思議だが、でも他にいわきでは久之浜と湯本で詠んでいるので、少し足を延ばしここ遠野まで来たのかもしれない などといろいろと想像を巡らし楽しませてくれるのが歌枕です。1000年前の人はここまでやるのか?と感心しきりです。

(平成14年5月26日)

                           
   熊野神社のある御斎所山     橋上からの鮫川龍神峡   御斎所山熊野神社遥拝所 御斎所峠
   鮫川渓谷龍神峡の碑   西行法師巡錫之地の碑   鮫川渓谷と滝神橋