金龍山南台寺島津家の墓  金木町
太宰の生家島津家の菩提寺南台寺の島津家累代の墓 
右端が従三位勲一等島津文治
(太宰治の兄)
左端が貴族院議員島津源右衛門
[父) 奥右が祖先累代の墓とある
金木の殿様とも呼ばれた島津家の墓としてはこじんまりとしいた 又太宰の兄文治が寄贈した鐘楼がある
津輕 其の5




 



 津軽三味線会館内の実演
斜陽館の向いにある三味線会館の実演 客は私一人だけでしたが演奏してくれました
左上 津軽三味線始祖仁太坊之里の碑 
左下 仁太坊生誕150周年記念碑
共に蘆野公園近くの岩木川沿いの堤防にある
右上  金木山雲祥寺  金木町
右下 雲祥寺境内の後生車(鉄の輪)
右上下 雲祥寺は子守のタケと太宰治とが度々遊びに来た寺で
「タケは私に道徳を教えた お寺にしばしば連れてきて地獄と極楽の御絵掛地を見せて説明した」
と小説津軽に書いている そこにある卒塔婆にあった後生車(鉄の輪)を面白がって一日中回していたという 昔は角材の塔婆だったが今は写真の様に石造りである ピタッと止まれば極楽 逆戻りす列地獄行きなのだそうだ 碑には
 汝を愛し 汝を憎む 太宰治


と彫られている


 島津家新座敷 斜陽館の東約90mの所にある 大正11年(太宰13歳)の時太宰の長兄文治の結婚式を機に新築された離れである 東京の大空襲では疎開してきた太宰親子も1年半ばかり過ごした家である この新座敷は敗戦後のGHQの農地解放の為地主制度も崩壊しさしもの大地主島津文治氏(当時青森県知事)も大邸宅を手放すことになったのです その際にこの離れを居宅としたのです やがて大邸宅は太宰治の生家の旅館斜陽館として有名になっていくが新座敷は人々の記憶から消えていった(説明パンフ)