小説津軽にある『たけ』の嫁ぎ先の越野金物店  カアテンが降りて鍵が締まってるので『少し歩いて筋向いの煙草屋にはいり、越野さん家には誰もいないよですが・・・』と小説に書かれてる
 
小説{津軽』の像記念館前 北津軽郡中泊町小泊 
左が太宰治・中が津島修治・左が越野たけの胸像である
 
 
太宰治とたけの像 小説『津軽』の像記念館前
北津軽郡中泊町大字小泊
ここは太宰とたけが数十年ぶりに再会した街なのだ

横野煙草屋さんはチャッカリ太宰を利用してる(上右) さらに越野金物店は最近売却され看板も商品もなくがらんとしていた(上) その在庫品を斜め向いの横野たばこ店が販売していたがめぼしい物は殆ど無くなっていた  横野たばこ店にあった張り紙 

在りし日の越野たけさん 横野たばこ店提供 たけは13歳から17歳までの5年間太宰が2歳から6歳までの子守をしていた 越野金物店はたけさんの嫁ぎ先である
 『このたび私が津輕へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。30年ちかくも逢わないでいるのだが、私は、その人の顔を忘れない。私の一生は、その人に依って確定されたといっていいかも知れない・・・たけは、いの間にかいなくなっていた。或る漁村へ嫁に行ったのであるが、私がそのあとを追うだろうとの懸念からか、私には何も云わずに突然いなくなった。・・・三つから八つまで、私はたけに教育されてた。そうして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はっと思った。何か、直感で察したのだ。私は大声挙げて泣いた。たけいない。たけいない。と断腸の思いで泣いて、それから、二、三日、私はしゃくり上げてばかりいた。いまでも、その折の苦しさを、忘れてはいない・・・』(津輕 新潮文庫より)   ここ小泊は太宰が母以上に慕う乳母「たけ」がお嫁に来た村である 太宰ファン必見の村でしょう
  運動会でたけを見つけて『・・・全く無優無風の状態である 平和とはこんな気持ちの事を云うのであろうか 若しそうなら私はこの時生まれて初めて心の平和を体験したと言ってもよい・・・』と書いている 小説「津輕」の像記念館前
蝦夷が千島 其の5